2011年01月29日

いよいよ始まる合同テスト“もう一つの見方”とは

寒中お見舞いもうしあげます。
遅ればせながら2011年シーズンもよろしくお願いします。

ニューマシンが1月下旬から続々発表され、一斉にテスト走行が始まる。そのスケジュールは以下のようになっている。
・2月1〜3日:バレンシア
・2月10〜13日:へレス
・2月18〜21日:バルセロナ
・3月3〜6日:バーレーン
この4回の“合同テスト”以外は制限され、撮影用及び直線コース試験が例外として認められているだけだ。2月は温暖なスペインで3、4、4日間と走り込むスケジュールで、天候も比較的安定していることから、例年この3サーキットを転戦しながらニューマシンの熟成が進められる。
 
バレンシアはヨーロッパGPの舞台ではないやや小さなパーマネントコース、リカルド・トルモが使われる。何度かこのテスト取材にも行っているが、低速コーナーばかりでコースとしてはあまり見どころがない半面、ピット上からコース全体が見渡せるから、どこでマシンが止まっても(1周が短いので)すぐにピットに戻せるなど、チームにとっては新車の基本的な“システムチェック”をするには便利なところだ。ドライバーもここなら少しずつ低速コーナーを攻めていけばいいので、スピンしても大きなダメージを負うという心配がない。(完成したばかりのニューマシンはスペアパーツが十分ではないので、クラッシュするとテスト・プログラムそのものに影響が出てしまう)。

余談になるが最終コーナー外側には“展望レストラン”があって、朝から夕方まで続くテストの間、ここで飲食、休憩できるのはとても助かる。ほかのコースだと昼食をとるのも一苦労で、朝サーキットに向かう途中でサンドイッチを買っていくしかない(もちろん温かい缶コーヒーの自販機なんか、スペインにはない)。レストランの窓側に居ればなにかハプニングが起きてもコースが見渡せ、すぐに表に飛び出していける。ただちょっと困るのは、休日にテストが重なると地元スペインのアロンソ・ファンが大挙詰めかけてサーキット周辺が大渋滞になること。2,000円以下で入場できるとあって、ここもバルセロナも観客はかなりの数になる。
 
97年にヨーロッパGPが開催されてから今はテストでしか使われなくなったへレスは、シェリー酒の産地として有名だ。新車シェイクダウンをバレンシアで終えると、各チームはここから本格的なセットアップに取り組んでいく。このコースは中速タイプ・レイアウトで“アンダーステア傾向”が出やすいから、そこをきちんと修正できるか、またロングランペースはどうか、ベストタイム比較よりもその内容をチェックすると、マシンのポテンシャルが浮かび上がってくる。
ただへレスは時折雨も降り、風も強いところなので、こうしたコンディション対応が難しい。またガソリン重量を軽くするとラップタイム向上率が大きく(10kg減で0.35秒アップ)、チームによってはわざわざ予選仕様にして好タイムを叩き出し、スポンサーへのプレゼンテーションの場にするところもある。従ってこの段階でのタイム比較、優劣判断には慎重にならざるを得ない。ニュースで流れるタイム結果に、皆さんもあまり一喜一憂しないほうがいいだろう。

2月最後のバルセロナになるとテスト走行も俄然ヒートアップ、実力が透けて見えてくる。ここはニューマシンの実力測定にはうってつけのコースレイアウトなので、バルセロナで速いとどこでも戦闘力が高いと見ていい。実際にスペインGPでPPをゲット、優勝するチームは高確率(65〜70%)でチャンピオンシップを制している。昨年のレッドブル・ルノーもこれに当てはまる。
参考までに昨年のバルセロナ・テストでは、初日25日がM・ウェバー、26日がN・ヒュルケンベルグ、27日がN・ロズベルグ、28日がL・ハミルトンと“日替わり”でトップが変化した。なかでも初日でいきなり2位に約1秒(!)もの大差をつけたレッドブル・ウェバーは驚異的で、いまにして思えば彼らは「王者への切符」をこの時点から握っていたと言ってもいいだろう(と僕はイメージした)。

さて今年の場合はどうか。ここで注視する必要があるのは3月3〜6日に中東バーレーンでテストがあることだ。開幕戦1週間前、まさに直前4日間の集中テストは本番のリハーサルといえ、ここでニューマシンの実戦パッケージや隠し玉が投入される可能性は大だ。その根拠はバルセロナ・テストを21日に終えてからバーレーンまでにはかなり日数があること。アップデートパーツを整え、ここまでライバルに見せなかったモノをぶち込み、一気に引き離す作戦がとれる。あるいはここを“最終テスト”ととらえて試しておいて、さらなる開幕戦仕様を翌週までに仕上げる2段階作戦だって考えられる…。

——今回は<オフ・テスト>のもう一つの見方を解説した。次回は登場したニューマシン、そして今シーズン20年ぶりにF1に復活するイタリアのピレリ・タイヤの動向について取り上げる。 

2010年12月29日

2010年「NOTベスト・アワード」発表!

今年もここだけでやってしまおう、2010年ベストアワードとは逆の「NOTベストアワード」発表です。来シーズンはぜひ頑張ってくださいくださいという期待を込めてノミネートした。

☆ドライバー部門:1位 V・ペトロフ、2位 L・ディ・グラッシ、3位 S・ブエミ、4位 F・マッサ、5位 R・バリチェロ
☆マシン部門:HRT・F110
☆レース部門:韓国GP
☆タクティクス部門 :レッドブル・レーシング
☆カラーリング部門 :BMWザウバーF1チーム
☆コース(レイアウト)部門:アブダビGP・ヤスマリーナ・サーキット
☆プレスルーム部門 :イギリスGP・シルバーストン
☆アクセス部門:ベルギーGP・スパ・フランコルシャン・サーキット
☆ホテル部門:韓国GP周辺

■ドライバー部門
12チーム、27人のドライバーがエントリーした中から、堂々ドライバー部門第1位に輝いたのはV・ペトロフ。数々の不用意なスピン、派手なクラッシュ、被害総額は推定2億円以上とみられ、ルノー・チームの残業は深夜にまで及んだ。このロシアン・ドライバーには不思議な一面があってパドックにいる時も妙にちゃらちゃらしている。誰にでも話しかけてくる態度はフレンドリーでけして無礼な行動はとらないけれどもコース上では相当暴れる。シビアなルノーR30はコントロールが確かに難しく、リバース・ステア(急激なハンドリング変化)を予知するのは大変そうだ。でも何度も同じパターンのスピンを繰り返すのは学習不足。最終戦アブダビGPではアロンソを抑えて6位入賞したものの、あれはあのコースだからできたこと、いかにルノー開発“Fダクト”が直線で速いかという証明にすぎない。
世が世ならビッグチームでこの結果では前半戦でとっくにシートを失っていただろうが、大国ロシアから愛をこめた支援は強力で、先日新規2年契約が発表されたばかり。ポーランド出身のR・クビサはまた来年苦労することになりそうだ。チームメイトからのデータフィードバックはあてにならず、彼のスピン・ダメージ修復にスタッフは追いまくられて精力を削がれるからだ。

ペトロフがぶっちぎりで2位はバージンのL・ディグラッシ。ルーキーとはいえ彼を見ていると、最後まで自分の理想のセッティングが解らず、とにかく懸命に振り回そうとする走りだった。GP2ではなんとかなってもF1でこれでは突破口は開けない。
3位はS・ブエミ、まる2年トロロッソという“恵まれた”シートを与えてもらいながら伸びるどころか停滞。経験豊富なスタッフによって最適セットアップを組んでもらえても、いわゆるオーバードライビングで焦りが先立つばかり。いつもにこやかな若い父親(サーキットパパ)が一緒、余計なお世話だがもう一人歩きさせたほうがいいと思うのだが。

4位F・マッサ、5位R・バリチェロともに十分な経験を持つスタークラス・ドライバー。しかしそれぞれ推定12億円、4億円以上もの高額ギャラをいただくアスリートとして客観評価するなら、今シーズンは×だ。バリチェロはウイリアムズを背負って活躍したかに映るが、もしチームがN・ヒュルケンベルグを正当に扱っていたら、“逆転現象”が後半戦早い段階で起きていたと思う。彼がデビューしたころにはテクニシャンとしての技が見え、体力面ではやや劣っていてもなんとかカバーする姿勢があった。ところが最近はフリー走行では流し、予選では直接のライバルのアタックを実にうまく見極めてさばく(ブロックともいう)。要所要所でそんな高度な技を発揮するベテランの味はかなりどぎつい。でもなぜかあまりペナルティーは受けず、さすがに大ベテランは処世術にも長けている。07年ホンダ時代にノーポイントでもさっさと高額契約で残留するなど、マネージメント手腕も群を抜く。

■マシン部門
GP2ではないがF1でもない“GP1.5”みたいなHRT・F110。山本左近君との雑談で、いかにこのマシンが凄いか、まっすぐ走れない挙動かを実際にコーナーで確認してきたよと言ったら、彼は「あそこで見てくれてたんですか…」と苦笑いを浮かべていた。ある意味、僕はB・セナ、K・チャンドックらをリスペクトする。このHRTはオオカミの群れに迷い込んだ羊のよう、集団走行中には抜かれるほうも抜くほうもリスキーであった。

■レース部門
なぜFIAアワードがあの混乱韓国GPに授与されたのか、どなたも不思議に思うだろう。僕も解せない。初開催GPに与えられる“お約束のアワード”とはいえいくらなんでもあれでは……、まあこれも今のフォーミュラワン・ビジネス社会の断面ではある。

■タクティクス部門
ダブルチャンピオン・レッドブルにもここでアワードを。皮肉ではなく数々あったチーム戦略ミスによって、最後までシリーズを活性化させてくれたのは事実。あのトルコGPでの2台接触事件、イギリスGPでのウェバー「ウイング返せ発言」など、真相はともかく采配面で見苦しいばかりの内部混乱が起きた。「でも速ければそれでいいだろ」的なチームポリシーが最後には功を奏し、今年を乗り切った。

■カラーリング部門
正式にはBMWザウバー名称のままで今年を乗り切った“ザウバー”、カラーリングもプレス対応も昔ながらのBMWスタイルそのまま、色気がないチームだ。今年は小林可夢偉色で染まり、それはそれでよかったがもうちょっと何とかしないと。来年は“メキシカン・マネー”に頼るザウバー、変身か?

■コース(レイアウト)部門
昨年からこのコースレイアウトはひどいと感じていた。なんでピットレーンをわざわざトンネルにしたのか、なぜここにシケインを置くのか、どうしてやたら長い直線を2本作ったのかetc。最終戦アロンソ対ペトロフで世界中に最悪レイアウト(追い越し不能)をアピールしてしまった。莫大な金額をかけさせ、設計監修料をいただくためにあのようなコースになったとしたらあまりにも悲しい。この僕だってもう少し面白いコースは考えられる。提案として今後新コースを建設する際は、FIAサーキット委員会にドライバー経験者を招いてアドバイスをとり入れ、設計者側を指導したいいのではないか。

■プレスルーム部門 
あのシルバーストーンがとんでもない工事中状態だったことはあまり批判されていない。ますます不便になったプレスルーム環境は最低でも、誇り高い英国人たちは何も言わないからあえてここで言う。プレス駐車場は遠く、夜は真っ暗、室内は曇天でも冷房がんがんで18度、TVモニター位置は見にくく、不味いコーヒーと紅茶はとうていイギリスとは思えず、残飯をあてがうように出してくるサンドイッチの味といったら日本のコンビニ以下レベル。伝統の一戦が泣くぞ。

■アクセス部門
ヨーロッパラウンドがどんどん減り、クラッシックイベントのベルギーGPも運営が大変な状況になっている。公的資金に依存、つまり税金がつぎこまれている。今年僕はホテルを変えたがあまりにも値段が高く、距離的に近いから選んだのに毎日変わる交通規制でサーキット周辺は大渋滞、まいった。スパ・フランコルシャンはレイアウトとして面白くてもアクセスは最悪レベル、それでも雨の中あれだけ観客を集めるのは伝統の力というほかない。
(なお2010年「ベストアワード」のほうは、現在発売中の文春ナンバー誌769号で発表しているのでそちらをどうぞ)

P.S. 
12月23日に行った<ブリヂストン小平工場見学&浜島さん慰労会>には、全国から多数の申し込みがあり、限定数を超える40数名の方々が参加されました。初めて立食パーティー形式で2時間食べ放題、飲み放題、しゃべり放題としましたが、マイクなしで皆さんと輪になって楽しいひと時を過ごせました。浜島さんも「こんな素敵な会を開いていただき光栄です」と挨拶、「第1期活動は終わりでも……!?」と意味深な発言が最後に飛び出し、一同シーンとなる場面も。
今年もF1LOVERSの皆さまには、おつきあいいただき心より御礼申し上げます。GP転戦ツアーに追われ、リポート更新が遅れがちになりご心配ご迷惑をかけました。2011年は3月13日から全20戦がスタート、僕もコンディショニングを整え、現場から見たこと聞いたこと感じたことをダイレクトにお伝えする基本姿勢をつらぬいて頑張ります。良い年をお迎えください。
                                   今宮 純


2010年12月04日

2010年最終2連戦、20日間世界1周を無事ゴールイン!

今年最終2連戦ツアーは世界1周便フライトで回ってきた。約3万マイル、スカイチーム便を利用して日本からアメリカで乗り継ぎブラジルGPへ、そのあとヨーロッパを経由してアブダビGPへ、そしてまたヨーロッパに戻ってから日本へと、およそ20日間の“ファイナルツアー”だった。

まず成田から太平洋を東へ、デルタ航空でアメリカのアトランタまで飛び、ほんの数時間空港内で過ごし、翌朝、サンパウロに到着。この日はレンタカー(現地生産のVWゴル)を借りて、モルンビにあるA・セナの墓参り。毎年いつも彼のもとには花がいっぱい供えられている。そのままインテルラゴス・サーキットに行ってプレスルームの自分の席を予約、TVモニターの配置を確認しながら席を選ぶようにしている。4日間を過ごす仕事場はまあまあの設備、つらいのはプレスパーキングから延々と階段を上がらなければならないこと。標高800m以上のここでは、急ぐと息切れがする……。

ブラジルGP後の月曜日、徹夜で朝まで仕事をしていたので昼過ぎまで休んでレイトチェックアウト。それから市内にあるハーツまで、渋滞の中をかきわけるように走って車を返却。この都市はいつも混雑していて歩道を散歩している犬にも抜かれるくらい。なにしろ進まない。ここでタクシーにスーツケースを移すが、狭いトランクは一杯で、助手席まで満載になった。タクシードライバーは老人で、空港途中でガソリンスタンドに寄ると言い出す。しかも、メーターをそのままにするので「いったん止めてくれ」と言うが「後で料金を値引きするから」と聞かない。途中でまた渋滞もあって、結構ギリギリの時間でチェックインになってしまった。

サンパウロからはエア・フランスのパリ行き夜行便だ。昨年、この大西洋横断フライト機内で出されたヒレ・ステーキの特にソースがとても旨く、期待していたら今年はメニューが変わってたいしたことはなかった。なんかぱさぱさのコンビーフみたい。でもワインはさすがにデルタのモノよりもいい。11時間フライト、機内映画システムが故障していて、僕は寝るだけでどうでもよかったが“お詫び”として1万マイルをいただいた。“グッドウイル・ジェスチャー”として。

機内で1泊してドゴール空港に早朝6時着陸。寒い。マロニエの枯葉が歩道にたくさん積もっていて、初夏に入っていたブラジルから来ると秋を実感する。アブダビに向かう前に、一晩だけでもと夜はなじみの寿司屋へ、今年はもうこれが最後と挨拶する。ちょっとロゼワインで酔ってしまい、チップをはずむのを忘れた。御主人も頼んだ“かっぱ巻き”を忘れていたからまあいいか。

水曜日午後便でドバイへ。6時間程度のフライトは短く感じられ、夜11時半に到着、ハーツに行くとトヨタ・カローラが待っていた。VWゴルよりは大きくて荷物もすべて収納、深夜の高速を一路アブダビに向かって急ぐ。制限速度は120km、一応130kmで走るがバンバン抜かれる。山のようにでかいSUV車ばかりでパリとは大違いだ。しかしサーキットそばまで1年ぶりでも迷わず来たのに、最後で“集中力”が薄れたのか迷ってしまい、完成したばかりのテーマパーク「フェラーリ・ワールド」に入り込んだり、またUターンしたり、うろうろしていたらパトカーが出現、停止を命じられた。
パスポートから国際免許、FIAパスなど全てを見せ、ホテルを探していて迷っているところだと説明。それでも「ユー・ドリンク?」と聞くから、のろのろ走っていたのは酔っぱらっているわけではないと言い、20分ほどしてやっと納得してくれた。そこですかさず頼むとパトカー先導でホテルまで案内してくれ、午前2時ごろにようやくチェックイン。パリから着いて気温30℃の砂漠地帯を走ってやっと最終目的地にたどり着いたので、とりあえずミニバーからビールを。今年のホテルは安くはないがめちゃ高くもなく、24時間ルームサービスもあって、インターネットもOK、これならトワイライトレース後も朝まで部屋で仕事ができるし、温かいモノも食べられる。それにドゴール空港で買ってきたスコッチウイスキーとボルドーワインもある。さみしいシーズンエンドの夜を過ごした1年前とは大違いだ。

木曜日は昼から徒歩でサーキットへ、肌が日焼けするほどの陽射しを浴びながら行く。この夜はホテルのビュッフェレストランで済まそうと入ったら、なんとシーフードが山盛り。寿司まであって、生ガキやロブスターが食べ放題だったが、砂漠の真ん中だし万一のことを考えて控えることに。翌日も忙しくまたここに行くと“シーフードフェア”は毎週木曜日のスペシャルで、この日のメニューはアラビアンに変わっていた。まあ、これも悪くはないなと食べていたら、横で現地の衣装を着たおじさんがビールをがぶ飲み、戒律は関係ないのだろうか?

結局、アブダビGPでは土曜日も日曜日も深夜のルームサービス、すっかりボーイ君と顔見知りになり「お互い、こんな時間まで大変だけど頑張ろう」と励まし(?)合う。
また夕方までいてレイトチェックアウト、近くのホテル内にあるイタリアンレストランで久々にテーブルについての食事だ。この店は昨年入って本格的なので驚いたところ、おすすめのホタテガイをいただく。白ワインにぴったりだと思ったが、これからドバイまで走らなければならないのでガス水で我慢、来た道をまっすぐ帰る……はずが、またドバイ空港目前で道に迷う。返却時に満タンにしようとスタンドを探していたからで、一方通行が複雑に絡み15分くらい回り道してしまった。それでもフライトが深夜1時50分発だったので、まだチェックインカウンターがクローズのまま。これならいっそのことドバイ見物に行けばよかった。

7時間の夜行便で火曜日早朝6時にパリ着。外は7℃で今回持ってきたすべての服を着込んで2Fターミナルを出た。原稿を書き続けた水、木、金、土曜日まで秋雨前線が停滞するパリは冬同然の気候。せっかくだからとシャンゼリーゼに行って少しだけクリスマス・イルミネーションを眺めた。でもエッフェル塔が華やかなイルミネーションを点灯したのは、僕らが土曜日にこの街を後にしてからだった。よほど観光とは縁がないようにできている。

今シーズン最後のツアーはこれで終わりだが、2011年は最終戦が11月27日なので、時間の余裕があれば真冬のパリでクリスマス気分に浸れるかもしれない。そんなことを機内で思い浮かべながら、20日間世界1周を無事ゴールインした。

2010年11月27日

最終戦アブダビGP「ベッテル・アロンソ対決、勝利を分けたものは」

祝S・ベッテル・初タイトル獲得——。
8ヶ月に及ぶ最近では最も長かったシーズンに、23歳の青年は耐えがたきを耐え最終決戦に勝ち、チャンピオンシップ・ポイント256点として7位にとどまったF・アロンソ252点を逆転した——。最終戦は遮二無二スピードで勝負したレースだった。戦略云々など関係なし、コース上でのドライビングによる分かりやすい決め方。このスポーツの原点「速いもの勝ち」を絵にかいたようなシンプルさ、F1は本来、こういう“ドライバーズ・チャンピオンシップ”であるべきだと思った。

終盤6戦はベッテルとアロンソしか勝者はいない。3勝対3勝、終盤戦は二人による事実上の“対決”となっていたのである。得点上はM・ウェバーがランク2位にいたものの、この6戦は一度もチームメイトより前でフィニッシュすることができず、最速コンストラクターズ・チャンピオンマシンにまたがるセカンドドライバーと言わざるを得ない状況が続いていた。その葛藤、心労、ストレスは臨界点に達し、インテルラゴスでは終始表情が厳しく、アブダビでも近寄りがたい雰囲気を漂わせ、身内のものとずっと一緒に行動していた。とても人前に出て話せる心理状態ではなかったのだ(すべてインタビューは拒否したと聞く)。
「これではベストプレーは望めない」——。最終決戦4人対決でここまで来たが、現場で見るウェバーの様子はもはや“崩壊寸前”に感じられた。戦う前の闘いに自ら敗れていった、と言ってもいいだろう。

事前にさまざまな“チャンピオン予想”が乱れ飛び、最終戦ポイントリーダーで臨むアロンソが条件的に絶対有利という見方が大半を占めた。何百パターンもあるレース展開のなかで、データ上、2位に8点アドバンテージを持つ立場だった彼は、攻めなくとも、守備的ゲームで十分に<V条件>を満たせる余裕が存在したからだ。
しかし、アロンソはアブダビまで大挙出張してきたスペイン報道陣(その数は過去最多)に対し、母国語で冷静なコメントを繰り返した。「この状況は(首位にあっても)前から何も変わっていない。最速レッドブルに乗るドライバーを倒すのは相当に困難なことだ。やってみないと全くわからない」。自分が有利とは言わず、熱くなる周囲を哲学者のような表情で戒めたアロンソ…、僕は05年、06年のM・シューマッハとの決戦を思い出し、「あの時よりもっと苦しい立場いることをクールに実感しているな」と、彼の表情を読み取った。

その彼と土曜深夜11時半過ぎに、ばったりと出会った。ヤス・マリーナ・ホテル周辺はアラブの王様たちのVIPカーで大渋滞、その横をパドックから徒歩で汗だくになって移動していたら、渋滞の中に彼の“移動用マセラーティ”が閉じ込められていた。ロールスやベントレー、フェラーリに囲まれ、まるで決勝レースで“ペトロフ渋滞”にひっかかったようだった。アロンソはもう歩いていくからと左リアドアを開け、自分でトランクから荷物を出すと、とっととホテルに向かった。
夕食は既にパドック内のチームケータリングサービスで済ませていたのだろう。徒歩ならホテルまで3分とかからない目と鼻の距離だ。それなのに騒々しいホテル周辺の大混雑、大渋滞のなかにわざわざ彼をマセラーティで行かせたら“パニック”になるのは目に見えている。私服に着替えさせてバイクを1台用意してやればいいのに、こんなところにもチームオーガナイズ、いや段取りの悪さを僕は感じた。

名門といえども今のフェラーリ・スタッフたちは3年ぶりの決戦にすっかり浮足立ってしまった。今シーズン、たびたびチームワークで綻びを露呈してきたレッドブルのほうが最終戦に限っては逆に地に足つけた行動力を示した。要はその“違い”があの15周目、アロンソのピットストップの大失敗につながったのだ。ウェバーが本来の走りができず、19コーナーで右タイヤをヒットするなど乱れているのを察知すれば、集中的に彼だけマークするのではなく、1位ベッテルとの間に3台以上入れないよう、周囲の戦況をもっと警戒すべきだった(結果論ではなくて)。
このレースにベッテルが優勝しても256点、アロンソは4位に入れば258点でV条件を満たせる。だが5位だと256点で同点、2位と3位も同回数になり4位の回数が少ないアロンソは<F1競技規則第7条2項デッドヒート規定>によって敗れる——。そこを刻々変化する中で、チームは“安全保障対策”として留意する必要があった。

アブダビに来て予想以上に脅威となったのはマクラーレン・メルセデスとルノー、ともにエンジン面でローテーションに余裕があり惜しげもなくブン回してきた。やりくりしてきた最後のアロンソ・フェラーリは既に“1戦使用済みプラスα”のもの、走行時間距離が増えるにつれ実戦パワーの落ち方が急激になるのが今年のフェラーリの短所である。それがスタートダッシュから如実に現れた。何もミスはなかったのにアロンソはエンジン性能による3〜4速アップでJ・バトンに置いて行かれた。極論をここで述べるなら「このダッシュでチャンピオンを失った」とさえ言える。

さらにピットアウト後、新人V・ペトロフを40周どうしても抜けなかったのは4〜5〜6〜7速でスピードに欠け、スリップストリームにも入れなかったからで、低速エリアで追突寸前まで接近してもペトロフの後方乱流によってかえってバランスを崩していた。ただし、打つ手がたった一つだけあった。最も速度が落ちる地点を選びフロントウイング翼端板を軽くぶつけてタイヤをカット、相手を弾き飛ばして自分は生き残る最後の手段だ(誰とは言わないが皆さんはこの手を過去に使ってきた有名ドライバーを容易に想像できるだろう)。が、アロンソは弾き飛ばされても、飛ばしたことはいちどもないレーサーで、最後までロシアの新人にこうしたダーティープレーをこころみなかった。彼くらいのレベルならばやってやれないことはないのに、やらなかったのである。ゴール後のランでペトロフにあるポーズをしたのを責める見方があるらしいが、男として当然のアクション、あれをしなかったら××××だ。

2010年チャンピオンは、BS最後の年に一段とタイヤをより速く、さらに長く使えるドライバーに進化した。ベッテル担当者、BS現場主任エンジニア、もちろんF1を14年見てきた浜島氏もそれを認める。98年にBSが初のチャンピオンになったときのマクラーレンも、2010年の最後のシーズンにチャンピオンになったレッドブルも、ともにA・ニューウェイ氏が手掛けたマシンで、M・ハッキネンもベッテルも、このタイヤとの対話を通じてより速くなった点が共通している。その一方でアロンソは、とうとうBSでチャンピオンになれなかった。それも勝負の運というべきだろうか。

2010年11月01日

初の韓国GPは“マジカル・ミステリー・ツアー”だった!?

何が起きても不思議ではない、いや何も起きないほうが不思議だ。第17戦韓国GPへ向かう前日、そう覚悟した。今回は他では言えない、書けない、僕が見た、聞いた、感じたことをありのままに紹介するが、これは批判のための批判が目的ではないことをあらかじめ断っておく。

10月19日火曜日、15時35分の羽田旧国際線ターミナル発JAL便で、17時55分にギンポ空港到着。韓国大使館で取材ビザを認められていた僕は難なく初入国出来た(観光ならビザは不要)。日没後に未知の国をレンタカーで長距離移動するのは避け、その夜はソウル郊外のホテルに投宿。あとになってこの普通のビジネスホテルがいかに快適か、身をもって知ることになる。

水曜日昼に再びギンポ空港へ。ハーツ社の受付は国内線到着ターミナルにあり、親切なタクシードライバーが、携帯で連絡を取ってくれていたので、ここまではスムーズにいった。ヒュンダイ・アバンテというセダンを借り、リクエストしていたカーナビを装備してもらうが英語バージョンはないとのこと。そこで担当者にモッポ市内滞在ホテルへのルートを打ち込んでもらった。ここからはすべてハングル語。漢字もアルファベット(英語)も通用しないマジカル・ミステリー・ツアーの始まりである。

高速道路は日本よりも流れていて、カーナビの指示に従いながら360Kmを約4時間で。絶えず流れる音声ガイダンスを聞いていると「チョンマゲー…」で始まるおかしな言葉が耳につくが、速度違反監視カメラ位置などをいちいち教えてくれるので大いに助かった。「意外にいいじゃないか」とドライブ気分も出て、途中のサービスエリアではうどんを一杯食べる。結構いける味だった。
さあゴールのホテルはどこか? 指示に従いモッポ市内に入って、最後の角を曲がり、辿り着いたところは、いかにもというか正真正銘のせこ〜いラブホテル。「まさかここ?」——。1泊200ドル以上、5泊しばりで合計10万円を既にエージェントに支払い済みで(期待はしていなかったけど)こんなところをあてがうとは。

いや違った。その隣が我々のホテルだった。ガレージに駐車してスーツケースを運びながらロビーに行くとそう、ここも紛れもないラブホテル。案内された部屋には椅子もなく旅の荷物を広げておくスペースもなく、ある目的を満たす“短時間滞在用”なのは明らか。赤っぽい室内照明であちこちにミラーがあって、TVは妙に大画面で窓のすぐ隣には「セクシーガール・バー」の看板がチカチカ。この辺りはモッポ市内でも有数の歓楽街(ラブスクエア)だというのを後で知った。

そうか、こういうことだったのか——。サーキット最終承認が10月12日ですべてがギリギリ、GP開催地としての付帯条件<ヨーロッパ様式のホテルを近隣にしかるべき部屋数確保すること>なんて主催者は無視というか、すべて超法規的な措置でやってしまう考え方で、国際自動車連盟もそれを認めたわけだ。べつにいいホテルに泊まりたいわけではなく、料金なりに普通であればそれでいいのだが、無性に腹が立ってきた。

この宿を経営する家族たちは事情を何も知らず、普段1泊2000円の部屋に泊まる、FIA招待のお客さんだと思っていたという。英国エージェントがその10倍の値段で我々に売り飛ばし、それをピンハネしているなんて彼らは全く理解できずに驚き、申し訳なさそうな顔で言った。
「エフワンって、取材される方にもそんなことをするのですか!? 1泊200ドルってソウルではシティーホテルのスイートルームの値段ですよ」。
次の日から部屋には新品タオルがふんだんに置かれ、怪しげな照明は普通色ライトに変えられ、インターネット通信環境もセットしてくれた。そして玄関には主催者から配布された「公式F1ホテル」の認証マークが貼られたのだった。

※余談の余談、我々が最初に間違えたもっともっと“ラブホテル”なところにはフェラーリ・チーム御一行が滞在、土曜日夜にばったりC・ダイヤ—達に会い、F・アロンソとF・マッサ専用のマセラーティもそこに駐車してあった。もちろん二人は唯一の普通のヒュンダイ・ホテルに滞在、でも彼らスタッフたちはこの環境で仕事に励んでいた。ちなみにマクラーレンやウイリアムズなど英国名門チームは、市内第2の普通のホテルに滞在、“ラブホ組”チームをさんざん冷やかしていたとか。
 
周辺状況がだいたいこれで理解してもらえたと思う。韓国GP主催者はF1がサッカーW杯やオリンピックと並ぶ世界イベントだと喧伝しながら、こんな程度で開催にこぎつけた。以前ならば開催90日前にコース承認されなければならない基本ルールも適用されず、完成したはずのF1規格合致KICサーキットを、木曜日に下見してまたびっくりだ。あたり一面が工事現場状態で仮設スタンドを建設中、僕の知る限りこれほどやっつけ仕事で強行開催するGPは見たことがない。

できたての舗装はまずまずのレベル、噂では日本の業者が手伝ったという(未確認)。しかし排水性は問題ありと木曜日時点で感じた。凹凸があちこちにあって、舗装表面がザラザラしていないので、もし雨が降ってきたらそこかしこに溜まるに違いない。週末の天候が日曜日まで何とかドライでもてばと祈ったが土曜日未明から雨、レースは水煙による“視界不良”で大混乱におちいっていく。

新築プレスルームはコースから離れた場所にあり、そこにいる限り外の様子がまるで分らない。あまり表に出てコースなどご覧にならない各国ジャーナリストはあの水煙も、夕闇迫る暗さも現場にいながらTV画面で眺めるしかなく、情況を把握できていなかったらしい。僕らはスタンド4階にある14番放送席にいたので、窓越しにあたりの情況を眺めつつ川井君はレーダー画面をチェック、分担しながら刻々変わる様子をできる限りお伝えしたつもりだ。

このコースは海沿いの湿地帯に作られた。基礎工事中に水が湧き出てそれで作業が遅れたのは容易に想像がつく。地盤が軟弱なためパドック内の一部は凹み、マンホールの蓋が隆起して夜に歩くときは躓かないよう注意しないと危ない。パドックを一歩出ると照明など一切ない漆黒の闇、月明かりを頼りに駐車場に行き自分の車を探さねばならなかった。日曜日はプレスルームを午前2時に退室、駐車場は雨でドロドロで足元をすくわれそうになった。転んだら泥まみれ、懐中電灯を持ってこなかった自分は甘かった。

スタートは午後3時、2時20分に放送席に入った。2時30分からルコネサンスラップ開始、アロンソは4周してウェットとインターミディエイトの2種類タイヤをチェック、とても慎重だった。2時45分、急に雨が強まった。「これでは3時スタートは無理」と直感するくらいの雨、昼にあった前座ツーリングカーレースは大荒れになって25分間で打ち切られ、その時よりもコンディションは悪化する一方だ。フォーミュラカーによる水煙はツーリングカーよりもひどくなる。吹き流してくれる風もなく(風速1m前後)、はたして10分遅れ3時10分にSCスタートとなる。

正しい判断だ。しかし1周、2周する間にスローペースでも前が見えない状況のため3時16分赤旗中断に。雨は一見小降りになってもいっこうに止まず、結局49分間待機したのち4時05分に再SCスタートとされた。2分40秒前後のラップでも相変わらず視界は悪い。放送席からも通過するマシンがかすんでよく見えない。55周レース終了より先に日没がくるのではないか、いやこのまま“パレード”で第1回韓国GPは打ち切られるのではないか。55周の75%、42周未満の場合はハーフポイントしか与えられない。そうなったら首位M・ウェバーは有利、追う側は勝っても25点ではなく“4位相当”の12,5点しか加算できないのだから。
こうした計算をレッドブル、ウェバーはいろいろ考え、今日は予選2位からとにかく守りで行こうという心理になっていった(彼らの表情からそれが読めた)。アロンソはそのウェバーと待機時間中に話をしながらも、しっかりとヘルメットのバイザーをセッティング。水煙のなか“曇り止め”対策をして視界を損なわないようにし、万一レースが長引き、夕暮れが来たときに備えて淡いカラーのものにした。西日が強いときは濃い目にするが今日はその必要はない。このように彼は準備万端で決戦に向かっていった。

12コーナーでのウェバーのスピンは完全にミスだった。あのコーナーは逆バンクがきつく、プッシュするとテールが流れる難所になると下見中にも見て取れた。ウェバーは1位ベッテルに離され3位アロンソに追われ、プッシュしすぎた瞬間に濡れた縁石にはみ出た。ドライであれば彼のレッドブルは粘り、アクセルオンのままコースに戻れたと思う。だがウェットレースでのこのミスは致命的、後続アロンソはこれを避けたがロズベルグは“道ずれ”にされてしまい、表彰台チャンスを逸した。上位5人のなかではウェットレース優勝経験がないのはウェバーだけ、僕はそれが引っかかっていた。彼のアクセルオン走法はウェットではリスキーな部分があり、それが現実となったのだ−−。

雨でスローペースラン、エンジン全開率は大幅ダウン、なのにベッテルの8基目ルノー・エンジンは完全に壊れた。とても不思議だ。推定1,600km走行ではまだ限界が来るはずはなく(約2,000kmマイレッジ可能)、その使用法やチームの管理に問題があったのではないか。一つ言えるのは2位アロンソとの攻防でベッテルはトラブル寸前にスパートをかけていて、追ってくるアロンソに対し、ややエンジンにむちを入れていた。とはいえそれで致命傷になるとは、過去2戦でよほど“酷使”された後遺症が突如出たのかもしれない。
独走態勢になったアロンソ、ところが暗くなったコースで彼だけが1分51秒台というドライの10秒落ちタイムでゴール寸前まで走った。これは1位ベッテルを追っていた時よりも速く、このペースからは、もしベッテルにトラブルがなかったとしても、アロンソは終盤に仕掛けて抜いた可能性がある。予選一発スピードでは劣っても彼のフェラーリには実戦スピードがあるという“証明”に他ならない。
——勝つべくして勝たねばならないドライバー決戦を獲った韓国GPであった。

一夜明ければ青天、月曜日昼過ぎに再びカーナビを宿の主人と近所のヒュンダイ・ディーラーに行き、ギンポ空港までセットしてもらって帰路についた。
「お元気で」−−。そう日本語で言いながら丁寧にお辞儀をして見送ってくれたご主人、二度と泊まるものかと思っていたが、彼らにはなんら責任はない。韓国内マスメディアはさまざまな混乱を起こした主催者を批判し、「インフラ設備等、滞在周辺環境などは国の恥だった」と報じた。2年目に進歩がなければこのGPにいくことを自分は勧めない。

2010年10月18日

スタートで生き残った可夢偉、母国GP7位入賞の大健闘!

男の約束だぜ!
トーチューにも少し書いたが、スタート前に小林可夢偉君と握手をしながら「とにかく気を付けて。絶対完走。ゴールを目指せ」とハートに訴えた。握り返す彼の掌からは覚悟のほどが伝わってきた。

放送席に向かう時間、2時半ちょっと前、広いパドックを彼はひとりでピットに向かって歩いていた。日本GPに入ってから常に報道陣に包囲され、ファンに囲まれていたのに、この時は一人ですたすたと急ぐ姿を見つけて声をかけた。
「小林君、今日はいい天気になって良かったよなぁ…」
そんな軽い会話、雑談モードで気持ちをほぐしてやろうと思ったのだが、足を止めた彼は自分のほうからついさっき終わった予選について語り始めた。僕は取材のために声をかけたわけでもなし、もう終わったことはいいからと聞き流そうとした。
「あれをミスという人はいても僕はそうは思わない。君があのシケインでブレーキロックさせるほど深く突っ込んだのは、ちゃんと国際共同TV画面もとらえていた。よく突っ込んでたよ(笑)」
「いやあ、でも失敗しちゃいました(笑)。あそこで詰めるしかなかったですからね」。
周りに外人カメラマンが何人かいたが、日本人関係者は誰もいなかったので、自分の気持ちだけは伝えようと思った。

「とにかく気を付けて走ってくれよ!」
いまさら「頑張って」と言う必要はない。彼はもう十分過ぎるほど頑張っている。これ以上頑張ったらレースをあっけなく終える危険性がある。そう感じたからだ。
「今日は絶対生き残りで行きます。(やるべきことは)分かってますよ(笑)」
握手なんてめったにしたことはない。でもこの時は「頼むぜ」「はい、行ってきます」という気持ちだった。表現はふさわしくないかもしれないが、あえて言うと零戦パイロットの出撃みたいな凛々しさが、彼の目にはあった。
「生き残ります」——。
この言葉の響きは、彼の今シーズンの走りを見ていたファンには分かってもらえるだろう。

14位グリッドは中団ど真ん中、下り坂スタートの鈴鹿だけにいつも以上にダッシュの差がつき、いきなり混乱が予想される。1コーナーまでは300mぐらいの距離でコースは狭まり、右に曲がりこむ。満タンで車重の重いマシン感覚はさっきの予選空タンとは全然違う。スタートダッシュしてから1コーナーへのブレーキングポイントも予選とは変わってくる。小林の前にはF・マッサ、隣にV・ペトロフ、後ろにJ・アルゲルスワリ、危なっかしい連中ばかりだ。
案の定、予想していたことが起きた。ルノーは今回スタート設定を上手く決め込み、3位R・クビサも13位ペトロフも勢いよくダッシュ成功、逆に新人N・ヒュルケンベルグはスタートが鈍った。そしていきなり接触。集団は弾け緊急回避するマシンの群れのなかでアクシデントが連鎖的に発生、マッサとV・リウッチも絡んだ。その混乱の中を小林はインサイドぎりぎりで突破、順位は下げても、約束通り見事に“生き残った”。
あとでチーム関係者に聞いた話では、その瞬間、彼は悲痛な叫び声を無線に残していたという。「××××!!!」。

空中戦でパイロットが対空砲火の“弾幕”の中に果敢に突っ込み、そこを切り抜け敵機にドッグファイトを挑むかのように、小林は1周目1コーナーを回避してからポジションを上げていく。
木曜にはいつものようにコース下見をして、かつてはオーバーテイクポイントとして人気があったヘアピンが、今は小さなスタンドがあるだけで、ちょっぴりさみしさも感じたが、ここには緩いバンク角がついていて、手前の右100Rコーナリングラインを工夫して進入態勢をとればインを刺して抜くことは可能。ノーズを前に競り出せば出口ではクロスラインで抜き返されることはまずないことも確認した。

小林はアルゲルスワリ、A・スーティル、S・バリチェロらを次々と捉え、パターン変えながら抜き去って行く。実戦ラインをしっかり定め、ブレーキング勝負で“一撃離脱”、抜かれたほうはかなりのショックだったはずだ。特に抵抗すらできずあっさり撃墜されたベテラン・バリチェロは1対1のバトルに完敗し、そのあとは小林のチームメイト、N・ハイドフェルドにも抑え込まれた。ザウバーのエースとして7位6点を挙げ、ダブル入賞によって37ポイント、ランク7位ウイリアムズ58ポイントに“11点差”とした。残り3戦での順位逆転はかなり難しいが可能性はある。ワンランク上がるとチームへの分配金は数億円も違ってくる。日本人初めてのエースにチームの期待がかかる。

チャンピオンシップについて。完勝S・ベッテル、2位堅持M・ウェバー、3位確保F・アロンソという鈴鹿の結果によってタイトル争いの局面に変化が現れた。マクラーレン勢はL・ハミルトン(28点差)、J・バトン(31点差)に後退、今年のポイント制では優勝と2位では7点差あるので残り3戦全勝してもウェバーが2位を並べれば、彼らは逆転できない。つまり自力タイトル制覇の可能性は消え、ライバルが自滅しない限りチャンスはなくなったのだ。

220点ウェバーと206点アロンソ&ベッテルの三つ巴の構図だ。追う側のどちらかが2勝すればウェバーが2位に来ても並び、最終戦は同点決勝となる。14点リードとはいえウェバーは追いつめられ、表彰台の後の記者会見も早々に切り上げ、チームの“1−2フォトセッション”にも姿がなかった。彼の深層心理がうかがえる行動だ。チームは「あくまで二人をイーブンに戦わせる」というだけに今後ウェバーはベッテル、アロンソどちらかを抜いて先着しないと防衛できない。いよいよ焦りが募ってきた。

一方ドライバーズサーキットで速さを見せつけたベッテルには勢いがあって、心理的にとてもヘルシーだ。同じマシンパッケージが得られれば自分はチームメイトに負けないという自信がみなぎっている。アロンソもいよいよ心理戦に持ち込み、M・シューマッハを追って2冠王達成した経験を駆使してくるだろう。勝負の筋を読むことにかけてはウェバーやベッテルより彼のほうが上、フェラーリのマシンパフォーマンスそのものはわずかに予選時には劣ってもレースペースは鈴鹿でも大差に広がらず、総合戦闘力はイーブンに近い。アロンソ一人に完全集中するチームオーガニゼーションは二人を競わせるレッドブルよりも強く、土壇場になってこの違いが思わぬ好機となるかもしれない……。

鈴鹿最高の一日は終わった。
次は前代未聞のぶっつけ本番第17戦韓国GP。何が起きても不思議ではないと自分は覚悟している。

P.S.
鈴鹿では「クロストーク・イベント」参加者の方々や多くのファンに激励をいただきました。あらためてお礼を言います。ちょっと寝不足気味でしたが雨のち快晴に恵まれ、今年の名勝負となるに違いない日本GPを個人的にも楽しめました。
東名集中工事と3連休で行きも帰りも7時間以上かかり、国土交通省大臣に会う機会があれば“直訴”しようかと思った自分です。また土曜の大雨注意報下、予選スケジュールを長時間にわたって遅らせて、ファンをずぶ濡れのまま待たせたFIA側の判断には失望しました。静かに待ち続けた皆さんの態度に、外国メディアは日本のモータースポーツファンの情熱を感じたと驚いたようです。
 
あと3戦、10年最終章をお楽しみに——。

2010年10月06日

「王者のレースマネージメント」を見せつけたアロンソが制したシンガポールGP

相手にとって不足なし——。
2冠王F・アロンソと新鋭S・ベッテルが見せたシンガポールGPマッチレースは、今年最も見応えある濃厚な内容だった。勝ったアロンソが最速ラップ1分47秒976、2位ベッテルは1分48秒141、この二人の自己ベストタイムは3位以下になんと1.1秒以上もの大差をつけていた。接戦が続く今シーズンでは異例なことで、二人だけが“異次元”スピードをぶつけ合い争った。

ブラインドコーナーだらけ、マリーナベイ・ストリートサーキットはモナコ公道コースのおよそ1.5倍もの長さで、実際走るとまるで罠を仕掛けたように23ものコーナーが次々に現れる。しかも1500基プロジェクターによる人工照明は、テレビ的には明るく映し出されてもコース脇で見るとやはり“暗さ”を感じる。
今年初めてここを走ったM・シューマッハも「チャレンジングなナイトドライビングを楽しむ」とお愛想の感想を述べていたが、最初は暗さに目がなじまず、他の者の2倍の周回を費やしながらマスターせねばならなかった。

さらに3回目の今年を難しくしたのは雨だ。毎日夕方までに必ずスコールが来て、降った雨がいっこうに乾かない(過去2年は天候に恵まれていたのだが)。それもそのはず陽が6時半には沈み、3000ルックスの人工照明にはお天道様みたいな“熱エネルギー”はない。高層ビルに囲まれているコースの周りには茂った木々がかなりあって、特にセクター1あたりは風通しが悪くてよけい乾きにくい。足元は泥んこ、テレビはそこまでは映さない。

コースサイド・ホテルに今年初めて泊まれ(料金が昨年までよりも大幅に値下がりしたので)、毎日部屋からコースを見られ、ホテルから昼晩歩いて通うことができた。あちこち濡れ場が点在していて、一つのコーナーのなかにもシミのように黒っぽく残っているのがよく分かる。ライン取りがとても難しいコンディションが金曜、土曜と続いていたのだが日曜はスコールもお休み、午後8時スタート決勝は99%ドライに変わった。
 ということはドライバーたちは金曜、土曜とはまた違うコーナリングラインにアジャストしながらレースを戦うことになる。分かりやすい「腕の勝負」、正真正銘のドライバーズレースになった。

アロンソはトップに立つとレース中に絶えずミラーでベッテルがどこいるか、その位置と間隔をチェックしながらブラインドコーナーに入る動作を繰り返した。彼のドライビングポジションは新人時代からほかの者よりもかなり低い姿勢をとり、ヘルメットの下半分が横にあるサイドプロテクターに隠れるのが特徴だ。目線は当然下がる。両脇にあるミラーを“上目ずかい”で見上げる格好になるわけで、その時微妙にヘルメットが動く。僕はその動きから彼が後続ベッテルをしっかりチェックし、必要なだけのリードをキープして自分のペースを調整しているのが解った。 

逃げようという過剰意識はオーバーペースのリスクを伴う。守ろうという防御本能はペースダウンにつながりかねない。こうしたマッチレースでの“鉄則”、それは相手をミラーに張り付けるかのように、また見えない糸で結ばれたように間隔を固定させていくことだ。二人は何度も最速ラップを出し合いながら、しかしアロンソは追われれば逃げ、ベッテルに最後まで接近を許さなかった。

60周目とラスト61周目に0.2秒差に縮まったのはH・コバライネンがマシントラブルでスローダウン、エンジン火災によってコース上にオイルなどが漏れ、イエローフラッグが出ていたから。ここで相手が近づいたからといって焦ってプッシュする必要は何もない。これが「王者のレースマネージメント」とばかりに違いを見せつけたアロンソ、おそらく背後のベッテルもその姿から何かを学んだことだろう。2位で悔しがる表情の裏に全力を出し切った充実感がちらついていた。

M・ウェバー202点、アロンソ191点(−11)、L・ハミルトン182点(−9)、ベッテル181点(−1)、J・バトン177点(−4)。数字上はまだウェバーが断然有利なのは確かで、失点を小さくしていけばいい立場にある。追う者はとにかく大量得点を狙うしかなく、もうここからは“ゼロ・レース”は即脱落を意味する。

35周目に起きたウェバーとハミルトンの接触は結果的にノーペナルティーで、ダメージが大きかったハミルトンだけストップ。ウェバーは右前輪タイヤがホイールからずれながら、振動に彼と彼のマシンが耐えたから“奇跡的”に3位15点を得られた。でもこういう強運は二度とはないだろう。「アロンソ191点、ウェバー187点、ハミルトン181点、バトン180点」、そう変わりかねない首位交代の一瞬の怖さを僕は感じた。

ここまで来た史上最大の決戦、チャンピオンシップを分かつものは確かな実力とほんのわずかの運、終わりへの始まりとなった第15戦シンガポールGPだった。

モンザ復活祭! フェラーリ・アロンソがイタリアGPで完全勝利

モンザ復活祭——。
フェラーリとアロンソが第14戦イタリアGP完全勝利、今季まだPP+ウイン+最速ラップはレッドブル勢もなく、これがはじめて。いかに完璧であったか、彼らはタイプが違う第15戦ナイトレース・ストリートサーキットでも全く同じ結果を出し切った。
戦力構図がイタリアGPから激変、僕はもうどのコースでも“レッドブル完全本命”と見てはいけないと直感した。フェラーリ・アロンソは最速マシンに追いつき、現実に追い越しに成功した。

復活した理由は三つある
1.エアロパーツのアップデート、特にアンダーフロア(表からは見えにくい部分)による著しいダウンフォース向上。これは超高速モンザではドラッグ<空気抵抗>とはならず、直線スピードを確保したうえで重要なブレーキングスタビリティーをグンと高めた。コースサイドにいて彼のフェラーリが示す“コーナリングアクション”は変わり、フロントのぶれが一切消え、ステアリング切り込みがナチュラルになっているのに驚かされた。もちろんこれでBSタイヤとのマッチングも良くなり、消耗度、摩耗肌、発熱性など一歩リードされていたレッドブルに引けを取らなくて済むようになった。

2.チーム体制面でアロンソを主軸にし、マッサをアシスト役にする役割分担が明確にされた。フリー走行から二人のプログラムを変え、マッサはそれを受け入れしっかりデータサンプルを集める走りに徹した。たびたびスピンをするほど攻めてはセッティングの“限界”を探り、エンジニアに「これ以上は無理」という事実を知らしめ、方向性を教えた。NO.2扱いと言えばそうなるがマクラーレンもレッドブルも今こういう体制がとれずにいる。その点においてフェラーリ・チームには彼らだけの強みがある。僕は今のマッサの役割と仕事が、今後のチャンピオンシップにかなりかかわってくると思っている。

3.アロンソがとても元気だ。終盤戦もここまで来ると、けして表には出せない<蓄積疲労>が何気ない態度に滲み出るもの。しかしモンザに見るアロンソはパドック出入りでティフォシにもみくちゃにされても表情はにこやか。歩幅の大きい歩き方が印象的だ。アスリートは普段の“歩きかた”に体調が表れる。モンザは超高速でなおかつシケインが多く、そこをカットして走る時に人によっては脳震盪に近い頭痛に苦しむ。これは一種の「モンザ病」だ。鎮痛剤はなく、ドライバーは自分自身で耐えるほかなく、フィジカルコンディションが万全でないとベストプレーを連続できない。モンザは19戦中で最もタフなコースのひとつ、シーズンが深まり疲労度が募る9月に毎年開催されるイタリアGPを<決戦>と言ってきた理由はそれだ。

マシンが大幅にインプルーブされ、チームが采配を一本化、エースたるアロンソが求めていた条件はほぼすべてそろった。本命は彼、今こうして書いているときにではなく、9月11日、最後のフリー走行を見てパラボリカからパドックに歩いて帰るときに、90%そう信じた。

P.S 
10月8日にドキュメンタリー映画『音速の彼方へ(原題SENNA)』が東宝東和から公開されます。ワールドプレミアで日本が最初、すべて実写シーンで構成されていてナレーションもなく、とてもシンプルな作品です(なんか彼自身が監督したような気さえします)。ブラジルで製作されたこの映画に実は僕も“出演”しています。製作側からフジテレビに94年サンマリノGP中継映像素材の提供依頼があり、僕のもとに今年春ごろに打診がありました。どういう形で使われるのかは不明でしたが快諾しました。A・プロストはじめJ・スチュワートら多くのドライバー、R・デニス、F・ウイリアムズ、J−M・バレストルFISA会長などが貴重な「証言」を語り、セナの「名勝負ドラマ」の裏側が描かれています。生誕50年、彼のレースをリアルタイムで見た方も見られなかった方も、10月日本の映画館にセナ降臨です。

2010年09月11日

緊急提言<2輪界の賢者たちは、今こそ改革の勇気と知恵を絞り出せ!>

F1の合間、ヨーロッパ滞在中に2輪モトGPがあれば必ずTV生中継を観戦している。ベルギーGPの翌週、パリにいて「サンマリノGP(ミザーノ)」のモトGP決勝レースを見ていたら、サポートイベントのモト2で重大事故が起きたことが報じられた。現地14時20分には、コメンタリースタッフが「トミザワが亡くなった」と伝えた。

ユーロスポーツがそのままモトGPレース実況生中継を流し、レース後になってからしかるべき対応をしたのは、自分も現場でA・セナ事故に接したことがあるだけに、慎み深い態度だったと思う。表彰台には半旗が掲げられ、むろんシャンパンファイトはなく、それで表彰式は済まされた。レース後のダイジェストで彼の事故シーンが流されなかったのも正しい判断であり、ディレクター諸氏は混乱したはずだが、亡き富沢氏への配慮が感じられた。

自分は彼とは面識もなく、また2輪モトGPを専門取材している立場にもないが、近年このスポーツでは重大なアクシデントが多発していてF1アクシデント以上に気になり、見るたびにその潜在リスクを感じていた。なぜもっと関係諸機関が“事故防止”のための対策を検討しないのか、むき出しのまま340km/hというF1と同じかそれ以上の速度でバルセロナのコースを疾走するシーンを見るたびに、小心な自分は「怖さ」を感じずにはいられなかった。

2輪関係者は昔ながらのあのスタイルに慣れっこになっているのかもしれない。でも自分には信じられない。ヘルメット素材の強化はもちろん形状の大型化、レーシングスーツの“カプセル化”など、それがロボットデザインになったとしても、生身の体を防御する方法をもっと考えるべきではないか。
 ——富沢祥也氏が他界されたシーンを見ると残念無念でならない。2輪界の賢者たちは、この世界一デインジャラスなスポーツを今こそ「改革する」勇気と知恵を絞り出すべきではないのか。自分は2輪のアウトサイダーでも、どうしてもその一言を言いたくてこの文章を書いた。

モータースポーツに関わるひとりとして、心よりご家族やご親族、バイク・フレンズの方々に深い哀悼の意を捧げたい——。  

ハミルトンの“強運”とベッテルの“拙速”が際立ったベルギーGP

ベルギーGPのコメンタリーボックスの位置は、グリッド4列目の斜め上あたりにあり、6位のF・マッサが所定の3列目アウト側に向かうのが見えていた。スパは1周7,004㎞と長いため、普段よりも各車がグリッドに着くのが遅くなる。
「アレ!」−−。マッサのフェラーリがグリッド枠をはみ出て止まった。目視でも半車身は前に出ているのが分かった。
これは明らかな“スタート違反”になる。レースディレクターがどう判断するか、スタートのやり直しになるだろうと、僕は一瞬思ったが、レースはそのままノーマルの手順で進行した。

レースディレクターはグリッドを見下ろす高さ数mのタワー上にいる。マッサのマシンが見えない位置ではなかったはずだ。またグリッド横にはスタート監視員のマーシャルもいる。昔はエンジンストールする者が多く、彼らが一斉に黄旗を振り、後続マシンに異常を知らせた。今回もまったくそれに等しい事態だったのだが……。

このマッサの“スタート位置違反”は結局、何ら問題にならず、スタートで4位に上がり、レースを4位でフィニッシュして終わった。この時点で、他チームが彼の違反に気が付かなかったせいもあるだろう。というのも彼の6位グリッドあたりはスパの場合、ピット側からはウオールに遮られてよく見えない位置関係になっている。スタート時にはチームメンバーも原則として危険なためにピットガレージ内に引きこもらねばならない。意外な“落とし穴”、いや“死角”になったマッサのスタート違反、後になってからこの件をFIAが調査に乗り出したが何ともお粗末な失態であった。
 
今年のL・ハミルトンは強運だ。雨がらみになったスパでは、ライバルが次々にトラブルや事故にまみれて引き下がり、自分もあわや危機一髪のコースオフをしながらも3勝目。武運長久だ。

ハミルトン182点、M・ウェバー179点、スパで1−2位の二人がチャンピオンシップをリード。S・ベッテル151点、J・バトン147点、F・アロンソ141点、3人とも追加点できずに終わった。R・バリチェロに1周目、最終シケインでヒットされたアロンソは完全なもらい事故、あの場でリタイアしても不思議ではなかった。衝撃は大きく、のちに彼は単独スピンして終えたのだがダメージが進行していた可能性がある。

バトンに仕掛けていき側面をヒットしたベッテル、あれは彼のラインミスで左に振った瞬間にバンプで跳ねてコントロールを失った。ベッテルだってぶつけたかったわけではない。あの状況では優勢ながらもセクター1の速いバトンを捕まえられず、山下りセクター2では抜こうにも幅が狭く、あの地点で仕掛けるほかなかったのだ。
しかしブロックする相手の動向を読み、完全なパッシング・チャンスを“待つ”時間を若いベッテルは我慢できなかった。拙速という言葉があるが、勝負を急ぎすぎたプレーは過去にもいくつかあった。最速に値する才能の持ち主は「仕掛けるのも早い」という個性を持つ。今後、終盤戦にもこれに似たバトルシーンは予想され、そのとき彼がどう動くか、王者になるための試練である。

第14戦イタリアGPモンザ、2010年6戦勝負シリーズが9月から“開幕”だ。
1位ハミルトンと2位ウェバーは実質同点のイコール条件、3位ベッテルは“31点差”となって毎戦6点を挽回しないといけない。5位アロンソは“41点差”、毎戦7点の挽回レースは計算上相当厳しい。だがそれをよく知ったうえで2冠経験者アロンソは「まだ諦めない」と言い切る。ティフォシに向けた単なるリップサービスではなく、今彼が追う相手は皆若い(ハミルトン&ベッテル)か、タイトル未経験(ウェバー)で、ディフェンディング・チャンピオン(バトン)は自分よりスピードに欠ける、と読んでいるからに他ならない——。

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