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“FIAvsFOTA”の権力抗争はまだまだ終結が見えない!?

権力抗争というものは、そう簡単には終わらない。6月24日、世界モータースポーツ評議会以降、FIA(国際自動車連盟)とFOTA(フォーミュラ1チームズ・アソシエーション)の“バトル”は、どちらが勝ったとか負けたとかの報道が各国メディアでは飛び交っているが、そう締めくくるのはまだ早い。両者の抗争はまだまだ続いている——。

そう書いている最中にも、FIA会長のマックス(モズレー)さんは、F1分裂回避のために退任を発表しておきながら、突如前言を翻し10月にある会長選に5期目“出馬”をにおわせ、FOTA牽制再攻撃に転じ始めた。彼はどこかの国の大統領や総理大臣などよりはるかに政治術に長けている。その趣味や性癖はともかく、我々常人の想像を超えた権力志向の強い人物だけに、そう簡単に権力の座を明け渡すとは思えない。最近ほとんどサーキットには来ていなかったが、たまに生でお見かけすると、その表情、顔色には歴史上に存在したあの“ドクサイシャ”のようなオーラが漂っていてびっくりすることがある(これ以上は書けない。皆さん、勝手にイメージして胸の中に収めておいて!)。

実はマックスさんも、F1の商業面を支配するFOM(フォーミュラワン・マネージメント)のバーニーさん(エクレストン会長)も、ルカ(モンテゼーモロ・FOTA会長)も70〜80年代には同じ“土俵”、サーキットにいた。新興マーチ創立メンバーの一人、名門ブラバムの代表、伝統フェラーリ率いる青年監督、というそれぞれの立場でレースに没頭していた3人は、四半世紀を経て今日のポジションまで上り詰めてきたのだ。 
だから、今回の権力抗争は宿命的な<3者対決物語>なのである。

マックスさんは英国新興チームを旗揚げした70年にいまのブラウンみたいに初年度優勝を収め、マーチは複数チームにシャシーをカスタマーカーとして販売、F1だけでなく他のカテゴリーでもビジネスシェアを拡大していった(主に彼は経営管理や法律部門が担当でエンジニアではない)。今回、FIA会長として新興プライベートチームを手厚く迎える新規定を掲げ、一方でメーカー系チームと対決し、“追い出し”に走った背景には彼のルーツである70年代にとった行動様式が見事にダブって映る。

「レースとはコンストラクターに主導権があり、メーカーはエンジン供給していればよく、チームが多いほど業界内は繁栄し、カスタマーカーを買ってF3上がりの振興勢力がステップアップしてくるのもまたよし…。英国レースビジネスはそうやって潤い、国家的産業のひとつにまで発展してきたのだ」というのが、たぶんマックスさんの“自己中心的モータースポーツ観”なのだ。だからレースそのものには醒めていて、それはいまも変わりはないと聞いている。前に鈴鹿で佐藤琢磨君が大観衆を総立ちにさせる走りを見せたとき、この人はただ漠然とその様子を眺めていたというのは、有名な話だ。それほど、コース上のバトルには興味がないらしい。

ルカさんもいまやフェラーリ社長である。あの創業者エンゾ・フェラーリの直系といっても過言ではないラテン熱血派のやり手だ。21世紀フェラーリは度隊バーのミハイル・シューマッハ、チーム代表のジャン・トッド、テクニカルディレクターのロス・ブラウン、デザイナーのローリー・バーンら“外人部隊”によって長く栄光が続いてきた。しかし彼はスクーデリア・イタリアとして70年代の原点に戻り、イタリア人によるイタリア人のためのフェラーリを求めて、トッド体制を一掃した。トッド監督はこれまでFIA会長ととてもうまくやってきたのに、もう不必要と断を下したのだ(複雑になるがトッドが消えた途端にFIAとの抗争が勃発している)。そして一時的な成績低下は覚悟の上で、イタリア中心主義を本格スタートした矢先にマックスさんとの“全面対決”になっていった。負けても勝ってもフェラーリ・チームはスーパースター、グランプリレースのシンボル、絶対のプレゼンスというのがルカさんの“スクーデリア中心的モータースポーツ観”だ。だから率先してトヨタ、メルセデス、ルノー、BMWをまとめてFOTAとしてここまで引っ張って来たのである(この人でなければ到底できなかったろう)。

ではバーニーさんはというと、これはもうはっきりしている。“国際マネー中心的モータースポーツ観”である。響きはよくないかもしれないがゴッドファーザー、“ドン・エクレストーネ”である。
オイルダラー、アラブマネー、投資ファンド、円も元もウオンも好み、ハイドパーク公園にある事務所のテーブルに積まれれば、どの国にもF1サーカスを“人材派遣”する。その一方で、今回の論争に関して渦中にいながら、実は本質に切り込んだ公式コメントを何も語ってはいない。一歩引いたスタンスを取っているのがいかにも大物の彼らしい。

これから迎えるFIA対FOTAバトルの最終局面は、はたしてどう動くか。僕はこれまでの権力抗争を眼鏡の奥から見つめてきたバーニーさんが、最後の最後にどちらかのスイッチを切るか、あるいはボタンを押すのではないかと予想している。
「どちらも自分抜きには世界規模の興行はできっこないさ」——。
喜寿を過ぎても背筋を伸ばしてサーキットを歩き回り、現場スタッフに指示を飛ばす、生涯一人身となったキーパーソン。愛する者たちが次々と去って行き、最後の“レース屋”となった彼が、ありったけの愛情をこの彷徨えるフォーミュラ・ワンに注ぐかのように、最後の大仕事を覚悟している。そんなふうに僕には見えるのだ。

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