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特別寄稿 ルノーの2年間猶予付き資格停止処分について

大いに意義ありの幕引きだった。
史上初の夜間開催となった昨年のシンガポールGP決勝、ルノー・チームのN・ピケJr.がレース中に起したクラッシュについて、8月にチームを解雇されたピケがFIA(国際自動車連盟)に事故は故意だったと告白。同僚のF・アロンソが絶好のタイミングでセーフティーカーが入ったことで優勝したことから、チームの意図的な不正行為が疑われた問題について、9月21日に開かれた世界モータースポーツ評議会は、わずか90分足らずの“審議”でルノー・チームには執行猶予付の「2年間出場停止処分」、前マネージングディレクターのF・ブリアト—レ氏にはFIAが関与する競技からの「無期限追放」、不正行為を指示したと言われる前エクゼクティブディレクター・オブ・エンジニアリングのP・シモンズ氏には「5年間追放」の処分を発表した。08年マレーシアGPでドライバーとして最終的に自分からクラッシュ行為を実行したN・ピケには訴追免除措置がとられ、事実上「無罪」とされ、結論としてブリアトーレ“被告”がすべての責任を取らされるかっこうになった。

この結果、ブリアトーレ氏を“マフィア”呼ばわりするメディアまで出てきて、一方の当事者、内部告発に踏み切ったピケは親分の命令に従ったいたいけで“忠実な部下”に仕立てられ、クラッシュ行為を指示したシモンズ氏は“陰謀指揮者”とされている。善玉と悪玉が見事に強調され、ルノー・チームは(F・アロンソまで含めて)とんでもないダーティーな組織集団になってしまったのである。

話を正確に期するために、時間を1年前に戻そう。
アロンソが11位からピットインしたのは12周目だ。軽い燃料で予選15位からアグレッシブな戦略を選んだのはそれまでにもあったこと。一方16位にいたピケが問題のスピンをしたのはその2周後の14周目、ここでセーフティーカーが導入された。やがて17周目にピットレーン・オープン、焦ったフェラーリ・チームはマッサの給油がまだ終わっていないのに発進させるミスを犯し、ホースを引きずったまま出口で立ち往生。このアクシデントによって優勝のチャンスを逸した。つまり、フェラーリのV逸は今回の問題とは関係ない、彼らのまったく失態によるものに他ならない。

19周目にセーフティーカーが去ってレース再開。このとき、アロンソはまだ5位にいた。ポジションを上げられたのは確かでも、勝てる状況にはなかった。しかしその後のレース展開において彼のルノーは最速ラップ3位相当で追い込み、再度セーフティーカーが導入された結果、優勝を成し遂げることができたのである。つまり、ピケの“故意クラッシュ”が即アロンソ優勝に結びついたとは言えないということだ。

現象とすれば確かにピケが呼び込んだ最初のセーフティーカーによって彼らはチャンスをつかんだ。それは否定できない。だが繰り返しになるがそれで優勝に直結したという今回の報道、談話、証言は事実とはかなり異なる。

もうひとつ、あのピケのスピン行為だが僕も現場にいて「ちょっと不思議な動きのスピンだな…」と感じたことは事実だ。ただ彼はF1ドライバーとしては珍しい、アクセルオンの初歩的なミス(大変失礼だが)をして、ああいう“巻き込みスピン”をしばしばするタイプで、「ああ、またやったか」というぐらいにしか僕の目には映らなかった。
また、あの17コーナーにマシン撤去用のクレーンが無かったことについて、リークされたFIA調書では、事前に下見したシモンズ氏がそれに気付き、陰謀を図ったかのように表現されているが、シモンズ氏でなくても初コースを歩いて下見をした人間なら、あの位置にクレーンがなかったことは誰でも知っていることだ。僕は深夜、彼とエンジニアたちが歩いて下見しているのをたまたま目撃しているが、これはF1チームにとってはごく普通の行為で、わざわざ陰謀を図るためにコースを下見したという見解には無理がある。

一方、ピケのスピンについて、レーシングドライバーならばスピンターンの一つや二つ、ドーナツターンの連続くらいは、一般路上での“縦列駐車”よりも簡単にできることも事実だ。実際、M・シューマッハがイギリスGP予選で故意にフェラーリをスピンさせてタイムロスを誘発させたこともあった(しかしペナルティー大問題にはならず…)。

そうした中で、言われるようにピケが“任務”を忠実に遂行したとしたら、その理由はなぜなのか。ブリアトーレ氏から“契約”をちらつかされ、レーシングドライバーたるプライドをかなぐり捨て、わざとスピンしたとすれば彼は本当にもう1年、F1に居られると思ったのだろうか。すでにあの時点で彼はアロンソとの実力差を身にしみるほど深く分かっていたはずだ。故意にスピンした瞬間に自分自身のレース人生がぶち壊しになると悟らなかったのだろうか。また最近の発言では父ネルソン・ピケも、昨年から息子のこの問題にかかわっていたようだが、世界チャンピオンに3回もなったほどの父親が、そこまで追い詰められていた息子になぜ冷静なアドバイスができなかったのか、その点にも疑問が残る。

父ピケさんとはホンダ時代からのなじみがある。今年、なぜか彼はルノーのモーターホームには寄りつかずBSのところでよく出会った。が、ピケさんはいつも考え込んでばかりいて、挨拶のハローもない。暗いネルソンを見るにつけいったいどうしたのかとずっと気になっていた。今にして思えば、昨年から息子のこの問題にかかわっていた彼は、何かをずっと考え思い悩み沈んでいたのだろう。
91年末に引退宣言することもなく、ベネトン・チームにやってきたばかりのブリアトーレ氏によって追われたトリプルチャンピオン。その無念の想いは確かに察して余りあるものなのだが(ピケの後にシューマッハがエースになったのは92年からのことである)。

ピケ対ブリアトーレ。また、もしブリアトーレ対M・モズレイの“個人的私憤”がこの大スキャンダルに絡み合っていたとしたならばもっと違うやり方、男らしい殴り合いの決闘こそがふさわしい。2009年F1はどこまでこういう語るに落ちるスキャンダルを繰り返すのか、もういい加減にしてほしい。

真相はいずれ明らかにされるだろう。しかしいまは何よりもこの60周年チャンピオンシップに集中すべきときだ。ゲーム・イズ・オーバー、もうスキャンダルはいらない−−。

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