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ヨーロッパ大移動2連戦、ベテラン勢の活躍に波乱の終盤を実感

体感温度40℃のスペイン・バレンシアからパリを経由して1,600km離れたベルギーのスパ・フランコルシャンへ。第11戦ヨーロッパGPから第12戦ベルギーGPへと続いた2連戦は、今までにない過酷さを体験したヨーロッパ大移動だった。サーキットのあるスパ・フランコルシャン地方は、海沿いからアルデンヌの山の中へと移るので、ある程度予想はしていたものの、まさか摂氏4℃以下(!)の寒さになるとは……。スペインでは冷たい“ガスパチョ”に感激していたのに、ここではレストランで飲む一杯のホットスープにぬくもりを感じたほどだった。

F1スポーツに係るものにとって、事態が瞬時に変化することに驚いていてはいけない。僕はいつもそう思って取材現場に臨んでいる。しかしこの2連戦、ヨーロッパGPでは、あのR・バリチェロ(ブラウンGP)が“別人”に変身して勝ち、ハンガリーGPでは、密かに期待していたG・フィジケラ(フォース・インディア)がPP(ポールポジション)を獲得、そしてスタートでの接触事故によるセーフティカー導入がなければ、勝っていたかもしれないレースを目の当たりにして、そんな思いもどこかへ行ってしまったかのように驚いた。

何が二人を変えたのか。
答えは第10戦ハンガリーGPの公式予選中の事故で頭部を負傷したフェラーリのフェリペ・マッサ(現在、リハビリ中)の存在抜きには考えられない。
バレンシアでのバリチェロの走りは、初日のフリー走行でコース脇2mまで接近して見ていたが“別人”ではないかと思うほどブレーキングも、ライントレースもスムーズだった。
あとで確認できたことだが、バリチェロはいまだに左足ブレーキングで、いまや常識の右足ブレーキングに変更せず通しているという。そんなバリチェロに昨年バレンシアで完勝したマッサは、その走りでバレンシア攻略のヒントを与え、バリチェロはこの年(F1デビューは1993年)になってようやく一皮むけたとしたら……。あの事故の“加害者”でもあるバリチェロの5年ぶりの優勝にそんな思いが湧き上がってきた。

同世代のフィジケラがバリチェロの優勝を誰よりも刺激的に受け止めていたのは、スパの初日にすれ違ったときに分かった。いつものようにへらへらとした様子がなく、表情が引き締まっていた。案の定、初日フリー走行1では急にスパ・ウェザーになり、スタブロー・コーナー方面から雨がサーっと降ってきたが、フィジケラはいきなりウェットになったにもかかわらずノーセットアップのままで最速タイム2分3秒972を叩き出し、トップに立った。イニシャルセットが抜群で、実際にコース上では完璧なバランスだった。
記録上はドライ状態のときにJ・トゥルーリ(トヨタ)が記録した1分49秒675がトップタイムとなったが、僕は「フィジケラをマーク」と取材メモに書き込んだ。

結局、ベルギーGPはウイナーは、スタートでフィジケラを交したフェラーリのK・ライコネンとなったが、2位表彰台に上がったフィジケラも、フェラーリの真後ろから後方乱気流を浴びながらも追い続け、スピン寸前のドライビングを見せてくれた。50m離れれば楽に着いて行けるのに、彼は“レーサー”としてどこかにチャンスがないかとアタックを続けたのだ。それを跳ね除けたライコネンも、この12戦までのベストレースを見せてくれ、「このレースのウイナーは一人ではない。彼ら二人だ」と思わせてくれた。

それほど強烈な印象を残したフィジケラの激走だったが、レース後9月3日にはフェラーリから、マッサに変わるドライバーとして、第13戦イタリアGPからフィジケラを起用するとの正式発表があった。フォース・インディアから電撃移籍しての大抜擢である。イタリアンドライバーとしては90年代のI・カペリ、80年代の故M・アルボレート以来となる。非常に残念ながら、ジャパニーズドライバーの佐藤琢磨はフィジケラに“敗れた”が、まだまだ鈴鹿・日本GPまで何が起きるか分からない。09年シーズンは<予測不能>な事態があまりに多いからだ。チャンピオンシップも予想通り終盤もつれる状況になっている。鈴鹿・日本GPがクライマックスとなる気配は、いよいよ濃厚になってきた。

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