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トヨタもBSも現場スタッフは心で泣いたアブダビ最終戦

みんな顔で笑って心は泣いていた——。最終戦アブダビGPの現場に居たBSスタッフ、またトヨタ(TMG)スタッフは<決断の時>が来たことをかみ締めながらも、それを心の奥底に閉じ込めながら09年最後の仕事に集中しようとしていた。

現場でのことを伝えよう。
11月1日、午前11時からトヨタ・チームは僕が泊まっていたホテルのすぐ隣にあるホテル内ペルシャ料理店で、取材関係者を招いて“ブランチの集い”を開いた。ドライバーは来ず、日本人チーム首脳陣と本社モータースポーツ推進室員だけが顔を揃え、今シーズンの取材御礼の挨拶が述べられたが、それ以上来季にまつわる話は一切出なかった。つまり彼らは何も言えないし、この場では何も聞いてくれるなということだと、僕は受け取った。
「やっぱりそうか——」。当たり障りのない雑談時間だけが流れる中で、食欲など出るはずもなかったが、半徹夜になる決勝日だから少しでも食べておかなければと小さなオムレツとクロワッサンを一つ摘んだだけで、もうサーキットへ行かなければと、照り付ける35℃の日差しを浴びながら車で5分のヤスマリーナ・サーキットに向かった。

午後1時からはパドックのBSチームオフィス内で浜島氏によるいつもの“タイヤトーク・セッション”が始まった。毎戦金曜と日曜に2度行われるもので、主にデータ確認とQ&Aがあって15分程度で終わる。この日も全くいつもどおりにミーティングは進み、散会した。しかしこの日の昼(レーススタートは夕方5時)にBS首脳スタッフは全チームに出向き、現行タイヤ供給契約を10年まで全うしたあと、次の契約はしない旨を伝えていたという。もちろんこの段階ではシークレットだが、BS首脳が直接出向いて現場担当者に話すのは、この世界にいるものとしての礼儀であり、モータースポーツマンとしては当然の振る舞いだと思う。

スタートまでの時間がとても長く感じられた。
資料整理やいろいろデータチェックしながらも、トヨタとBSの2010年に関して、ひいては<日本の将来F1アクティビティー>に向けて、最終戦のCS生中継で何を言うべきか、何を言うべきではないか、自問自答を繰り返したが、結局、いつものようにレースに徹したスタンスでいくことに決めた(まだ何も正式には発表されていないのだから)。たぶん来週一気にすべてが明るみに出て日本国内で大騒ぎになるだろうが、今この時点でことさら“スクープ”にはやり、テレビでぺらぺらしゃべるのは控えよう。それが僕の下した結論だった。

チャンピオン決定後ではあっても面白いレースが快走L・ハミルトンによって始まり、S・ベッテルが渾身のドライビングで食い下がって逆転、何とか新王者J・バトンもM・ウェバーと終盤に見せ場を演じながら、09年シーズンにふさわしい顔ぶれ3人が表彰台に立った。まあこれはこれでよしとしよう。

戦い終えて日が暮れて、取材を終えた最後にパドック一番奥にあるBSを個人的に尋ねた。今年最後だからあらためて「お疲れさま」というのがマナーだろう。仕事中だったのに浜島氏が一人で合間を縫って出てきてくれて、いくつか雑談話をしていると急に彼が涙ぐんだ様子でF1参戦からの昔話をし始めた。こちらはそういうつもりはなかったのだが、この日のレースのこととは関係なく、ミシュランとの“タイヤ戦争”やマイケル・シューマッハがいた時代に話題が飛んでいった。
「誰にも最終戦って、いろいろ頭をよぎることがあるよね」
BS社内で次期F1契約更新が難しい状況にきているのは、自分なりに感触は得ていた(関係者に迷惑をかけてはいけないので、あくまでもこれは“個人的な判断に基づいた感触”と断っておくが)。その通り彼らは来季シーズン、新たなタイヤレギュレーションに則った10年用タイヤを開発し、1年間規定に従った活動したうえでF1を去るという手順を踏んだ撤退であることを発表した。

一方トヨタ社内情勢はもっとずっと複雑なようだった。内外でさまざまな撤退報道が繰り返されるたびに、むしろ現場スタッフ側は結束力を強め、TMG海外部隊はやる気に燃えていたように僕には見えた。実際にいいレースが続きシンガポールGPではT・グロックが2位、日本GPでもJ・トゥルーリが2位と結果にはっきり現れ、ブラジルGPでは抜擢されたルーキー小林可夢偉が大健闘9位(日本人歴代2位タイ記録)、参戦8年目で初めて日本人ドライバーが戦う日本の“トヨタF1”の存在がアピールされた。
しかし、もう時既に遅しだった——。
表現はよくないかもしれないが、2戦目の小林の表情は“神風特攻隊員”さながらだった。口数も少なくなって、常に思いつめていた。
「人生がこれで決まる、いや終わるかもしれない」。
英国艦隊の最強戦艦ブラウン・バトンに駆逐艦豊田で挑んでいったコバヤシ、失礼を承知で言わせてもらえば力が違いすぎる相手である。それでも彼はお国(トヨタ帝国)のために捨て身で出撃していった。出撃できる機会を現場の司令長官が設けてくれたからには、それに報い自分の未来をこの一瞬に賭けるしかなかった。
「あまり無理はするなよ」とは戦士に向かって言う言葉ではない。ブラジルGPで彼が9位で“生還”したとき、僕は「オツカレサマデシタ」というねぎらいの言葉を本人にかけるのがやっとだった。すると朗らかに笑うコバヤシは「ここで待っていてくださいね、僕、コーヒーをいれて持ってきますから」と、ホスピタリティーの女性に命令せずわざわざ自分で運んできてくれた。敬礼しながら僕はいただいた。
アブダビでは夕飯をまともに食べる時間さえ彼にはなかったことを知っている。新人の彼は土曜夜9時からのプロモーションイベントにまで引きずり回され、アスリートとしての節制など心がける暇もなかった。出撃前夜の特攻隊員に礼を尽くさず、見事敵艦轟沈してからよくやったと肩を叩かれ、挙句に「もう帝国は無条件降伏したからね」と言われたら、二等兵は無念さを飲み込み押し黙るしかないだろう。

現場指揮官はアブダビ直後に開かれた東京の「撤退記者会見」で涙したらしい。僕はまだアブダビ取材から戻れずヨーロッパに居て会場内の状況は知らないが、そのシーンは世界中のTVニュースに流れた。しかし、トヨタF1関連の話題が02年の参戦以降、これほど国際的なビッグニュースになったのは、若き日本人ドライバーに“カミカゼ攻撃”させながら、2010年新コンコルド協定に調印しながら、ここで<無条件降伏>した“大日本クルマ帝国”の判断に、世界のメディアがマカ不可思議なものを感じ取ったからに他ならないということを忘れてはならない。

100年の自動車産業史に燦然と輝く世界一の企業が8年間、フェラーリ以上の数千億円を浪費しながらも1勝すらできなかったという事実を、日本のマスコミは「昨今の経済事情悪化」を理由に“金食い虫のF1活動は辞める”という彼らの文言だけを鵜呑みにせずに、しっかりと報じるべきだ。
あれだけの予算があればトヨタはとっくにワールドチャンピオンになってしかるべきであり、勝てなかった5年で辞めるか、ほかの選択肢を選ぶべきだった。
モータースポーツに「改善主義」は通用しない。必要なのはその都度の思い切った「改革」である。140戦して1勝もできず、中途半端に無条件降伏したトヨタは、自動車メーカーとして歴史にその名を永遠にとどめるだろう。
それがとても悔しい。1年前のH社敗退のときよりもっとニッポンは恥をかいた。

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