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   <title>今宮純 Ｆ１ Ｌｏｖｅｒｓ</title>
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   <title>史上最多全19戦の長丁場、2010年シーズンもよろしく！</title>
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   <published>2010-01-16T21:07:16Z</published>
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   <summary>寒中お見舞い申し上げます。 ５年ぶりに史上最多全１９戦が開催される２０１０年、長...</summary>
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      寒中お見舞い申し上げます。
５年ぶりに史上最多全１９戦が開催される２０１０年、長いシーズンとなりますが取材活動に励みながら、現場で見たこと、聞いたこと、感じたことなどを率直にお伝えしていくつもりです。Ｆ１　ＬＯＶＥＲＳ皆さんのサポート、叱咤激励、ご意見など、よろしくお願いします。

正月は４日から“初荷”原稿を書き始め、１０日には富士スピードウェイ「スーパー・ママチャリ７時間耐久レース」で“ゲスト解説”をやってきました。今年もサーキット取材は真冬のこのイベントからスタート。１３００チーム、約２万人が広いパドックを埋め尽くし、思い切りマイペースでコースを走る姿はたとえママチャリであっても＜モータースポーツの原点＞を見る思いがしました。普段サーキットに縁がない人々にも存在を知ってもらい、また筋肉痛とともに富士自走の“思い出”を周囲の友人や同僚、仲間とわいわい語り合うことによってもっとサーキットが身近なものになっていくと思うからです。

参加チーム名にはＦ１コンストラクターをもじった名称が多く、中には見覚えあるレーシングスーツ姿、レプリカ・ヘルメットで走る“ママチャリスト”も大勢いました。「カムイがんばってほしいです」、「シューマッハにもまた優勝争いしてもらいたい」、「佐藤琢磨選手にも最後までＦ１復帰目指してがんばってもらいたい」などなど、何人もの人から声をかけられました。メーカーは次々に撤退してもファンは撤退せず……、元気をもらった一日でした。

その小林可夢偉君には１２日に、僕も７０年代から所属しているＪＭＳ（日本モータースポーツ記者会）のパーティーで会い、新春雑談プライベートトーク（？）の機会がありました。彼は「２００９年ＪＭＳアワード」を受賞、わざわざ寒波のパリから戻ってきてくれたのです。当分の間は現在のパリ住まいのまま過ごすこと、ザウバーとはうまくいっていてＴＭＧ時代の知り合いもいること、２月の１５日間テストは半分を担当すること。またその進め方などについて彼の考え方を聞き、僕も僕なりに意見を言ったりして、次にサーキットで会う時には“ザウバー色”に染まっているのを期待しているからと、激励して別れました。周囲からのプレッシャーが日増しに大きくなっていても彼は自然体で受け止めていて、いままで同様のライフスタイルに変わりはなく、それを感じて少し安心した次第です。

さて昨年から企画中の「第１０回今宮純クロストーク・ミーティング」は、３月７日（日曜日）に東京で開催することが決まりました。
開幕戦３月１４日バーレーンＧＰの前の週、まさに直前です。現地に出発する前にＦ１ＬＯＶＥＲＳの皆さんと一緒に、２０１０年の見どころ、展望など語りつくして旅立つことになります。スペシャルゲスト、イベント詳細内容などはまだ検討中ですが近々参加申し込みなど発表できると思います。
春爛漫、開幕直前の３月７日、いまからスケジュールを空けておいてください。


      
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   <title>新ポイント制度の採用で、来季は何と１０位までが入賞！</title>
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   <published>2009-12-19T06:40:10Z</published>
   <updated>2009-12-19T06:42:24Z</updated>
   
   <summary>今年、最後になる世界モータースポーツ評議会で＜２０１０年F１世界選手権ポイント制...</summary>
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      今年、最後になる世界モータースポーツ評議会で＜２０１０年F１世界選手権ポイント制度＞の一新が急に決まった。０９年の現行制度、８位までを入賞としポイントは１位１０点、２位８点、３位６点、４位５点、５位４点、６位３、７位２点、８位１点は０３年から継続されてきていて、その前は６位まで入賞の１０－６－４－３－２－１点が９１年から続いていた（それ以前は６１年から３０年に渡って９－６－４－３－２－１点）。
今回発表されたのは１０位までを入賞とする、２５―２０－１５―１０－８－６－５－３－２－１という「ポインばらまきシステム」だ。これはまたまた重大なルール変更といわざるを得ない。なぜならば３位までの配点率が２．５倍に増えているのに対し、４位から６位までは逆に２倍に低くされ、８位はなんと３倍増になっている。かなりアンバランスだという印象は拭えない。
９、１０位まで入賞としたのは、チーム数が１３に増えたから新興小チームにも“入賞アピール効果”のチャンスを与えるためだというが、それは一見正論のようでも、これによっていろいろなケースが起こることは容易に想像できる。

例えばもし最終戦で“僅差”のチャンピオン争いになった場合、１０位でも１点ゲットできるとなればハードルはぐんと低くなり、１点狙いだけ意識した“とろとろレース”でもOKということになる。昔の６位まで、いまの８位までを入賞とするポイント制度よりも、可能性としてもっとこうしたケースが増えてくることが考えられるのだ。

個々のレースでいえば上位３台は２５－２０－１５点を獲得できることがとても大きい。もし開幕から速い２チームが現れた場合、上位大量得点がいままでよりさらに可能になるので、彼らが１～４位までを独占し続けてしまうと、追いかけるチームはものすごいハンデをいきなり背負うことになり、中盤以降の挽回が一層難しいものになる。
例えばそれを０９年シーズンに当てはめてみると、選手権を制したJ・バトンと２位のＳ・ベッテルは、２４３点と１９７点となり“５０点”もの大差がついてしまい、当然タイトル争いも早々と決してしまう可能性もある。新王者のバトンがFIAの発表に対して「この新ルールは大歓迎」と述べているが、それは０９年の自分に当てはめた感想だろうことは、容易に察しがつく（自分が逆の立場になったらとは、なかなか考えないものだから）。

前述したように４、５、６位だけが配点率を低くされたため、＜３番目に速いチーム＞
は先行する２強チーム４台に付け入るチャンスは小さくなる。どこが１０年シーズンに抜きん出てくるかはさておき、トップ４バトル、三つ巴戦というよりも“２強対決図式”が強まることは間違いなさそうだ。我々とすれば最後まで多数勢力がもつれ合うような展開が見たいのだが。

もちろん過去のポイントに関する記録も比較対照しにくくなるし、細かなことだがドライバー契約での獲得ポイントにまつわるパフォーマンス条項も書き換えなければならないだろう。チーム内でいえばメカニックのボーナスも１点何ポンドと決めているところも多いので、仮に１点１０００ポンドだったとしたら４分の一くらいに減額されるかもしれない…（ああ、ややこしい）。

個人的にはどうしても１０位までポイントをばらまきたいのなら、２０－１５－１２－１０－８－６－４－３－２－１点が妥当だと思う。実際これは、以前耐久レースなどで実施されていたポイント制度だ。優勝の価値を認めつつ２位とは最大５点差をつけ、３位には表彰台入りの名誉は与えても４位以下との差は小さくする。こうすれば仮にある１チームが１－２を飾っても次のレース以降で別の複数のチームが追い上げれば、長期シリーズがもつれる度合いは高まるだろう。
　
２００５年以来５年ぶりに史上最大１９戦に膨れ上がる来シーズン、ドライバーズチャンピオンは＜４７５点満点＞で争うことになるが、たとえ３００点突破王者が誕生したとしても、その真価は０４年の王者M・シューマッハが獲得した１４８点とは直接比べられないことになる。それにしてもワールドレベル・スポーツで、１０位まで入賞の名誉を授ける競技がほかにあるだろうか――。
　

      
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   <title>トヨタF1最後の日に、日本の「Ｆ１力」のことを思った。</title>
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   <published>2009-11-29T00:25:36Z</published>
   <updated>2009-11-29T00:32:46Z</updated>
   
   <summary>トヨタと富士スピードウェイには我々も長くお世話になってきた。その感謝の意を表し、...</summary>
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      トヨタと富士スピードウェイには我々も長くお世話になってきた。その感謝の意を表し、ここで公式的にF１が走る最後の場になるであろう「トヨタ モータースポーツ フェスティバル 2009（TMSF）」（11月22日）に、前日から2日間かけて赴いた。僕の09年最初のサーキット取材（1月ママチャリGP）も最後もここ、綺麗に白化粧したマウントフジを年に2度も眺めることができた。最終戦アブダビ帰りの自分としてはあらためてこのサーキットが持つ雄大さを感じたのだった。

夜は1℃で寒さに震えたけれど天気予報を覆して雨は御殿場あたりで止まり、22日イベント当日午後には晴れ間も出た。早朝から８時間も延々続いたイベントは正直言ってやや長すぎたがスタンドのファン2万8000人（公式発表）は最後まで楽しんでいたようだ。パドックでサインや写真撮影を頼まれたが中には、07年新富士・日本GPの公式プログラムをわざわざ持ってきた方もいて、彼らの“熱気”を感じた。

渋滞を避けルート246から小田厚経由、東名での帰り道で驚いたのは、明らかに富士帰りの地方ナンバーのトヨタ車が多かったことだ。皆さん全国からこの＜トヨタF１最後の日＞のために駆けつけたのだろう。何度か行ったこのイベントでこれほど見かけたことはない。僕は豊田社長にこういうところを、またあえて言えばホンダのＩ社長にも是非ご覧になっていただきたかった。
社内報告書データには上がってこない「庶民モータースポーツ感覚」の広がり。ボクシーやウイッシュに、誇らしげにTOYOTA・F１スティッカーを張っているワンボックスカーの若いお父さんたち……。トヨタは販売戦略として彼らを狙い、F1モータースポーツをやってこられたのではないのか。02年から8年かけてやっとここまできたのにそれがとても残念だ。

土曜21日に豊田社長がサーキットランを終えて、まるで小林カムイ少年のような笑顔でレキサス・マシンから降りてくるところを偶然目撃した。世界一速い社長の“素顔”だ。こんなにお好きな人があの決断をせざるを得なかった背景をもういっぺんよく考える必要があるだろう。
辞めるのではなく、辞めさせられたのではないのか――。

小林可夢偉君は金曜深夜までフジTV「スポルト」に生出演、その後、車で山中湖の宿に深夜移動。24時間営業コンビニを探しカツサンドを買い、食べてすぐにちょっとだけ寝て、朝からイベントリハーサルへ。相変わらず忙しい。J・トゥルーリもアメリカから土曜夜に成田到着、そのまま山中湖に入り、このトヨタF１ラストランに臨んだ。5年間苦楽をともにした彼としてはけじめをつけたかったのだろう。大会最後のフィナーレで最後までスタンドのファンに手を振り続ける彼の表情は感極まっていた。
もう一人のトヨタF１ドライバー、T・グロックはこのイベントにも来ていなかった。彼は17日に新チームのマノーと契約を発表、待ちきれずに決めてしまった感がある。ここは元シムテックで革新的マシンを設計したN・ワースが参戦準備を進めていて、彼ならば新興チームでベストなモノを作り出せると思う。が、資金力はショート気味でグロック自身がスポンサーを集めないと苦しい状況にある。もしそれがうまくいかないと、契約したとはいえグロックの立場が危うくなる可能性もありえよう。

小林と中嶋一貴の二人は“TDPマネージメント”の下にいて、2010年に向けて早い段階から水面下で担当者が交渉を重ねてきた。20日時点と断っておくが、事態はアブダビGP後からトヨタ撤退後に4転５転もしてきた。もう可能性はゼロになったが小林はマクラ―レンの候補リストに日本人として初めて名を連ねていた。検討が進み、チーム・スポンサー各社がアジアマーケットを調査、名門は慎重にリサーチをしていたのだが、J・バトン電撃移籍加入によって小林は弾かれた。世界があっと驚くマクラーレン日本人起用のかすかな可能性は消滅したのだった。

このTMSFイベント中に、あるフランス人に僕は初めて声をかけられた。実は彼の国のチームが小林に興味を示している。R・クビサは決定済みで、もう一人はグロックという報道が流れたがマノーに決まったのでシートが一つ空いたのである。そのシートに最近になってロシア系新人の動きが流れたのだが、R・グロジャンで懲りたルノーがまた実績のない新鋭起用に積極的になるとは思えない。その一方でルノーは資金体制面がまだ固まっていない。つまり、チーム・スポンサー交渉とリンクするようなドライバーが望ましい状況というわけだが、もし実績を示した小林に何らかの“サポート”があれば、彼の国のチームの候補リストの上位に一気に浮上していくのではないだろうか。

新興チームにはさまざまなドライバーの名が出ている。
カンポスはまずB・セナを10月31日に契約発表した。だが、有力候補P・デ・ラ・ロサがここにきて落ちたのは資金面がショートしたためで、事態はかなり変わってきている。ブラジル資金を当て込んだセナ起用も思惑が外れ、ドライバーラインナップが再検討されるかもしれない情勢にある。

一方、資金力はあるのが“マレーシア・ロータス”。M・ガスコインがマシン製作の指揮を取っていて、一人は確定したと報じられているのに名前が出てこない。トゥルーリだと書きまくるイギリス・メディアに対して、本人は「まだどことも契約に至ってはいない」と否定。ここに佐藤琢磨、中嶋らが候補として入り、他の新鋭や、経験者たちと“競合関係”にある。アメリカのUS・F１はチーム基盤が不透明なままで、具体的なドライバー交渉動向もはっきりしてなく、日本勢もよく見極めたほうがいいだろう。
　同様に不透明なのが元BMWのザウバー。FIAからエントリー承認を得られず、トヨタ撤退後に本来なら繰り上がって、着々と体制が進行していていてもおかしくないのに見えてこないのはなぜか。N・ハイドフェルドは長年の関係から確定でも、もうひとつのシートは“空白”だ。

創造力をたくましく“ドリームプラン”を考えてみようか。一切しがらみは抜きにして、もしザウバーとTMG、撤退したメーカーBMWとトヨタに代わりこの彼らが“合体”したとしたら……。
このプラン詳細は次回に続くとさせてもらう。もしこの間、明日にでもあっと驚くニュースが流れてもおかしくない今のF１ストーブリーグ界、小林も中嶋も、もちろん琢磨も3人とも僕はサポートしていく。何もしてやれないが彼らの夢の続きをバックアップする。たとえメーカーは消えても日本人の「F１力」は世界に負けてはいないのだから。



      
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   <title>トヨタもＢＳも現場スタッフは心で泣いたアブダビ最終戦</title>
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   <published>2009-11-12T15:22:02Z</published>
   <updated>2009-11-12T15:25:32Z</updated>
   
   <summary>みんな顔で笑って心は泣いていた――。最終戦アブダビＧＰの現場に居たＢＳスタッフ、...</summary>
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      みんな顔で笑って心は泣いていた――。最終戦アブダビＧＰの現場に居たＢＳスタッフ、またトヨタ（ＴＭＧ）スタッフは＜決断の時＞が来たことをかみ締めながらも、それを心の奥底に閉じ込めながら０９年最後の仕事に集中しようとしていた。

現場でのことを伝えよう。
１１月１日、午前11時からトヨタ・チームは僕が泊まっていたホテルのすぐ隣にあるホテル内ペルシャ料理店で、取材関係者を招いて“ブランチの集い”を開いた。ドライバーは来ず、日本人チーム首脳陣と本社モータースポーツ推進室員だけが顔を揃え、今シーズンの取材御礼の挨拶が述べられたが、それ以上来季にまつわる話は一切出なかった。つまり彼らは何も言えないし、この場では何も聞いてくれるなということだと、僕は受け取った。
「やっぱりそうか――」。当たり障りのない雑談時間だけが流れる中で、食欲など出るはずもなかったが、半徹夜になる決勝日だから少しでも食べておかなければと小さなオムレツとクロワッサンを一つ摘んだだけで、もうサーキットへ行かなければと、照り付ける３５℃の日差しを浴びながら車で５分のヤスマリーナ・サーキットに向かった。

午後１時からはパドックのＢＳチームオフィス内で浜島氏によるいつもの“タイヤトーク・セッション”が始まった。毎戦金曜と日曜に２度行われるもので、主にデータ確認とＱ＆Ａがあって１５分程度で終わる。この日も全くいつもどおりにミーティングは進み、散会した。しかしこの日の昼（レーススタートは夕方５時）にＢＳ首脳スタッフは全チームに出向き、現行タイヤ供給契約を１０年まで全うしたあと、次の契約はしない旨を伝えていたという。もちろんこの段階ではシークレットだが、ＢＳ首脳が直接出向いて現場担当者に話すのは、この世界にいるものとしての礼儀であり、モータースポーツマンとしては当然の振る舞いだと思う。

スタートまでの時間がとても長く感じられた。
資料整理やいろいろデータチェックしながらも、トヨタとＢＳの２０１０年に関して、ひいては＜日本の将来Ｆ１アクティビティー＞に向けて、最終戦のＣＳ生中継で何を言うべきか、何を言うべきではないか、自問自答を繰り返したが、結局、いつものようにレースに徹したスタンスでいくことに決めた（まだ何も正式には発表されていないのだから）。たぶん来週一気にすべてが明るみに出て日本国内で大騒ぎになるだろうが、今この時点でことさら“スクープ”にはやり、テレビでぺらぺらしゃべるのは控えよう。それが僕の下した結論だった。

チャンピオン決定後ではあっても面白いレースが快走Ｌ・ハミルトンによって始まり、Ｓ・ベッテルが渾身のドライビングで食い下がって逆転、何とか新王者Ｊ・バトンもＭ・ウェバーと終盤に見せ場を演じながら、０９年シーズンにふさわしい顔ぶれ３人が表彰台に立った。まあこれはこれでよしとしよう。

戦い終えて日が暮れて、取材を終えた最後にパドック一番奥にあるＢＳを個人的に尋ねた。今年最後だからあらためて「お疲れさま」というのがマナーだろう。仕事中だったのに浜島氏が一人で合間を縫って出てきてくれて、いくつか雑談話をしていると急に彼が涙ぐんだ様子でＦ１参戦からの昔話をし始めた。こちらはそういうつもりはなかったのだが、この日のレースのこととは関係なく、ミシュランとの“タイヤ戦争”やマイケル・シューマッハがいた時代に話題が飛んでいった。
「誰にも最終戦って、いろいろ頭をよぎることがあるよね」
ＢＳ社内で次期Ｆ１契約更新が難しい状況にきているのは、自分なりに感触は得ていた（関係者に迷惑をかけてはいけないので、あくまでもこれは“個人的な判断に基づいた感触”と断っておくが）。その通り彼らは来季シーズン、新たなタイヤレギュレーションに則った１０年用タイヤを開発し、1年間規定に従った活動したうえでF1を去るという手順を踏んだ撤退であることを発表した。

一方トヨタ社内情勢はもっとずっと複雑なようだった。内外でさまざまな撤退報道が繰り返されるたびに、むしろ現場スタッフ側は結束力を強め、ＴＭＧ海外部隊はやる気に燃えていたように僕には見えた。実際にいいレースが続きシンガポールＧＰではＴ・グロックが２位、日本ＧＰでもＪ・トゥルーリが２位と結果にはっきり現れ、ブラジルＧＰでは抜擢されたルーキー小林可夢偉が大健闘９位（日本人歴代２位タイ記録）、参戦８年目で初めて日本人ドライバーが戦う日本の“トヨタＦ１”の存在がアピールされた。
しかし、もう時既に遅しだった――。
表現はよくないかもしれないが、２戦目の小林の表情は“神風特攻隊員”さながらだった。口数も少なくなって、常に思いつめていた。
「人生がこれで決まる、いや終わるかもしれない」。
英国艦隊の最強戦艦ブラウン・バトンに駆逐艦豊田で挑んでいったコバヤシ、失礼を承知で言わせてもらえば力が違いすぎる相手である。それでも彼はお国（トヨタ帝国）のために捨て身で出撃していった。出撃できる機会を現場の司令長官が設けてくれたからには、それに報い自分の未来をこの一瞬に賭けるしかなかった。
「あまり無理はするなよ」とは戦士に向かって言う言葉ではない。ブラジルＧＰで彼が９位で“生還”したとき、僕は「オツカレサマデシタ」というねぎらいの言葉を本人にかけるのがやっとだった。すると朗らかに笑うコバヤシは「ここで待っていてくださいね、僕、コーヒーをいれて持ってきますから」と、ホスピタリティーの女性に命令せずわざわざ自分で運んできてくれた。敬礼しながら僕はいただいた。
アブダビでは夕飯をまともに食べる時間さえ彼にはなかったことを知っている。新人の彼は土曜夜９時からのプロモーションイベントにまで引きずり回され、アスリートとしての節制など心がける暇もなかった。出撃前夜の特攻隊員に礼を尽くさず、見事敵艦轟沈してからよくやったと肩を叩かれ、挙句に「もう帝国は無条件降伏したからね」と言われたら、二等兵は無念さを飲み込み押し黙るしかないだろう。

現場指揮官はアブダビ直後に開かれた東京の「撤退記者会見」で涙したらしい。僕はまだアブダビ取材から戻れずヨーロッパに居て会場内の状況は知らないが、そのシーンは世界中のＴＶニュースに流れた。しかし、トヨタＦ１関連の話題が０２年の参戦以降、これほど国際的なビッグニュースになったのは、若き日本人ドライバーに“カミカゼ攻撃”させながら、２０１０年新コンコルド協定に調印しながら、ここで＜無条件降伏＞した“大日本クルマ帝国”の判断に、世界のメディアがマカ不可思議なものを感じ取ったからに他ならないということを忘れてはならない。

１００年の自動車産業史に燦然と輝く世界一の企業が８年間、フェラーリ以上の数千億円を浪費しながらも１勝すらできなかったという事実を、日本のマスコミは「昨今の経済事情悪化」を理由に“金食い虫のＦ１活動は辞める”という彼らの文言だけを鵜呑みにせずに、しっかりと報じるべきだ。
あれだけの予算があればトヨタはとっくにワールドチャンピオンになってしかるべきであり、勝てなかった５年で辞めるか、ほかの選択肢を選ぶべきだった。
モータースポーツに「改善主義」は通用しない。必要なのはその都度の思い切った「改革」である。１４０戦して１勝もできず、中途半端に無条件降伏したトヨタは、自動車メーカーとして歴史にその名を永遠にとどめるだろう。
それがとても悔しい。１年前のＨ社敗退のときよりもっとニッポンは恥をかいた。


      
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   <title>ブラジルＧＰは静かなチャンピオン決定戦だった。</title>
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   <published>2009-10-26T22:21:44Z</published>
   <updated>2009-10-26T22:22:15Z</updated>
   
   <summary>朝からサンバのリズムが鳴り響いていたインテルラゴス・サーキッット。すでに皆さんも...</summary>
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      朝からサンバのリズムが鳴り響いていたインテルラゴス・サーキッット。すでに皆さんもご存知のように、ブラウンGPのＪ・バトンが５位に入り、初のワールドチャンピオンに輝いている。だが終わってみれば、もの静かなチャンピオン決定戦だった。歓喜も、喝采も、現場にいた僕の耳には届いてこなかった。放送席から出て１コーナー・ブリッジを渡ってパドックに戻ろうとした時、さっきまでスタンドで騒いでいた観客が忽然と消え、一人もいなくなっていた。彼らが放り投げたシートクッションだけがコース上に散乱、喧騒の後を留めていた。１時間後、ぱらぱらと雨が落ちてきてインテルラゴスはひんやりとした空気で満たされた。そう、こういう冷たい終わり方こそ２００９年には最もふさわしいのかもしれない……。

まずレースを振り返ってみよう。
第１６戦ブラジルＧＰまでを真っ二つに割って、その前期後期の得点バランスを表すとこうなる（第１戦から第８戦までと、第９戦から第１６戦までの合計点）。

１位：Ｊバトン　　　　　６４＋２５＝８９点
２位：Ｓ・ベッテル　　　３９＋３５＝７４点
３位：Ｒ・バリチェロ　　４１＋３１＝７２点
４位：Ｍ・ウェバー　  ３５,５＋２６＝６１,５点
５位：Ｌ・ハミルトン　　　９＋４０＝４９点
６位：Ｋ・ライコネン　　１０＋３８＝４８点

トップ４人はいずれも後半戦で得点が低下、後半８戦で言えば１位のＬ・ハミルトンが40点、２位のＫ・ライコネンが38点で、二人の得点がトップ４を上回り、旧２強チームの二人が１位、２位で大逆転になる。チャンピオンのバトンの後半戦は６番目の得点でしかなく、８戦で２５点は1戦平均で約３点、６位入賞がやっとだったことになる。
バトンだけではない。チャンピオンシップコンテンダーたるＳ・ベッテルもＲ・バリチェロもＭ・ウェバーも、後半戦揃って得点率が落ちている。こういうシーズンは極めて珍しい。夏から秋へとチャンピオンシップが深まれば深まるほどヒートアップしていくのがこのスポーツの面白さなのに、今年は真逆でトップ４全員が前半よりも成績を下げていった……（クールダウンか？）。

１９５０年から数えて６０回目シーズン、昨年のハミルトンと同じ５位入賞によってバトンが31人目の王者になった。彼だけでなくタイトルを争ってきたベッテルもバリチェロも“決定戦”表彰台に立てなかったのは、極めて異例なことで、ほかのスポーツではありえないようなファイナルゲームの結果だといわざるを得ない。
要はトップ４が揃いも揃って得点を伸ばせなかった後半、その中で彼と彼のチームが一番巧く“ポイント・マネージメントレース”をまっとうしたということだ。2009年の勝負はそこだった。しかし、生涯初のタイトルをこんな風に決めたジェンソンに２度、３度と、こうした成功が望めるだろうか。僕はこういうシーズン展開はそう何度もないと思うのだが。
「この至上の喜びをまた握り締めたい、誰にもこのタイトルを渡したくない！」
初制覇した後の新王者からはそうした前向きで力強い感想など聞かれなかった。優勝祝賀パーティーをさっさと切り上げ、一人ホテルの部屋から彼女に長距離電話する彼は本当に素直でいいヒト、歴代ワールドチャンピオンの中で彼ほど「心優しい王者」もいない。

最終戦アブダビＧＰでバトンがどういうレースをして見せてくれるか、チャンピオンとしてぼろぼろのレースはいただけない。もし素晴らしいレースをして見せてくれたら、それがタイトルプレッシャーにおののいていた“逆証明”にもなる。新王者には今年最後の勇敢なレースを望みたい。

P.S.
今宮純クロストーク・ミーティングのフレンドリーゲストとして、毎回出演してくれている“BSの浜ちゃん”こと浜島浜島裕英(株)ブリヂストン MS・MCタイヤ開発本部長が案内役を買って出てくれ、11月15日（日）に同社のタイヤとモータースポーツの展示館『ブリヂストンTODAY』（東京都小平市）の見学バスツアーを行なうことになりました。興味のある方は、下記案内ページをご覧の上、ご参加下さい。

■浜島さんと一緒に回る「ブリヂストンTODAY」見学バスツアー
　http://www.f1world.jp/

      
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   <title>シンガポール～鈴鹿2連戦は、F1史上最も過酷な毎日だった Part２</title>
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   <updated>2009-10-22T22:21:12Z</updated>
   
   <summary>鈴鹿は今のシルバーストーンによく似ている。高速コーナーが次々に連なっていて、平均...</summary>
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      鈴鹿は今のシルバーストーンによく似ている。高速コーナーが次々に連なっていて、平均スピードも時速２３０キロでほぼ等しく、ドライバーにとって攻める“リズム”が一緒だ。そう感じ取れればマシンセットアップのベースもおのずと決まってくる。あとは若干、鈴鹿向きにモディファイを加えればいい。

今年の第８戦イギリスＧＰでＪ・バトンの連勝を止めたのはＳ・ベッテル。彼のレッドブルは完璧にシルバーストーンにフィットし、無敵のＰＰウイン・最速ラップで突っ走った。あまりの速さにバトンとＲ・ブラウン代表はショックを受け、あそこから“スランプ状態”に落ちていったのは皆さんよくご存知だろう。

僕が早い段階から今年３年ぶりとなる鈴鹿・日本ＧＰの本命にベッテルを指名したのは単なる“マイ・カンピューター”の導き出した答なのだが、そのカンピューターには長年F1を見続けてきた経験値が蓄積されており、そこから客観的に弾き出されたものに過ぎない。だから、根拠は何かといわれれば、自分の経験に裏打ちされた目で見た結果と答える以外にないのだが、その僕の目に、鈴鹿初日時点で「ここでは勝負にならない」とバトンもＲ・ブラウン代表も消極的になっていった様子が、よく分かった。

例えばコース脇で見ていると、バトンは心理状態が読みやすいタイプのドライバーで、何が何でも行くぞというときにはコクピットでヘルメットが自然と前傾姿勢になってくる。そうでもないときは（マシンが決まらないときなど）、後ろ寄りというか頭の位置が前のめりになってこないのだが、この鈴鹿で見たバトンには何が何でもの前傾姿勢が、残念ながら見られなかった。君子は危うい勝負には出ないもの。ドライバーの性格として、また策士エンジニアの性格としても、両者は鈴鹿で決めるにはリスクが高すぎると思い、最低限入賞さえできればいいと悟ったのだろう。

その結果、予選１０位、決勝８位でバトンは１点加算。予選ＰＰ、全周回トップで優勝したベッテルは満点の１０点。１０－１＝９点減らしただけのバトンは８５対６９点で鈴鹿を流して済ませたのだ。
「ここ鈴鹿で決める気はなかったんだ」と強気に公言してみせたポイントリーダーに対し、ベッテルは「鈴鹿は最高のコース、神の手で作られたサーキットだ」と名言を吐いた。まるで昔、「鈴鹿で神を見た」と発言したＡ・セナのような形容である。そんなコメントと圧倒的な速さに魅せられたのだろうか、日増しに鈴鹿でベッテル・ファンが増えていくのが自分にも感じられた。逆にホンダ時代からのバトン・ファンは醒めていき、誰がいま一番コース上で速いのか、攻めに徹しているのか、ポイント数ではない＜現実の最速者＞を目の当たりにしたいと思っていたファンの多くを失望させてしまった。

正直言ってバトンがもう少し鈴鹿・日本ＧＰにこだわり、敵が速いのは承知の上でプライドをどこかで見せてくれるたら……。そう思う一方で、彼はそういうがむしゃらな走り、一か八か切り込んでいく勝負を、カートレースの少年時代からとても嫌うドライバーだったということも頭をよぎる。
それはタイトル目前のここまできても変わりはなかった。
「きっとジェンソンはブラジルでもまた“彼らしい”レースを貫き、しかしそこでもし決められなかったら、最終戦アブダビではとんでもない結末になる――。」
初めてのタイトルだからこそ守って獲るべきではなく、最後は何が何でも攻めて獲りに行かなくてはならない。鈴鹿からの帰り道、東名集中工事のために８時間もかかった車内で僕はいろいろ考えさせられたのだった。
＜終わり＞

      
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   <title>シンガポール～鈴鹿2連戦は、Ｆ１史上最も過酷な毎日だった。</title>
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   <published>2009-10-12T23:32:39Z</published>
   <updated>2009-10-12T23:34:46Z</updated>
   
   <summary>今年、このシンガポールGPと鈴鹿・日本GPの２連戦の日程が発表されたとき、かつて...</summary>
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      今年、このシンガポールGPと鈴鹿・日本GPの２連戦の日程が発表されたとき、かつてないハードスケジュールに間違いなく“病人”が出ると思ったら案の定、Ｊ・トゥルーリとＴ・グロック（よりによってトヨタ・チーム二人）がそうなった。彼らを責める気は毛頭ないがアスリートとして僕らよりも十分注意し、専任ドクターやトレーナーを随行させていても体調を崩してしまうほど、きつかったということをあらためて知ってほしい。ほんと、この２連戦はＦ１史上最も過酷な毎日だった。

だからこそ若い２４歳のＬ・ハミルトン（マクラーレン）がシンガポールＧＰを、２２歳のＳ・ベッテル（レッドブル）が日本ＧＰを颯爽と走り勝ってしまったといったら、「何だそうだったのか？」と言われるかもしれない。実際にタイトルをほぼ確定していた２９歳、Ｊ・バトン（ブラウンＧＰ）は二人に比べれば（アスリート年齢的には掛ける１．５倍で）１０歳以上、年上になる。さらにバトンには、チャンピオンシップへのプレッシャーや疲れもあったはずだ。はなからベストには程遠い状態だった彼は、あるいは日本は流し、次に勝負をかけようと思っていたのかもしれない。そういう意味で、この２連戦を総括すると＜若さの勝利＞とも言えるだろう。

誰もあまり指摘しないがアスリートにとって、これほどコンディショニング調整が理論的に成り立たない競技も珍しい。各国時差はもちろん、その移動距離、現地気候の違いなど、ほかのプロスポーツではありえないほど、Ｆ１は転戦の連続だ。シンガポールで２回目の開催となったナイトレースの現場では、金曜日からずっと“徹夜”態勢の深夜労働が続いた。ドライバーもミーティングなどあって、わざわざ調整のために夜更かしをして“不健康な”生活を送っていた者もいる。その次の日本ＧＰが昨年のように２週間後ならば“調整期間”がたっぷりあるからそれでもよかったのだが、今年は連戦で鈴鹿へ移動しなければならない。

シンガポールで深夜時間（ヨーロッパ昼時間）に合わせた直後、ヨーロッパと７時間時差になる日本タイムに一気に合わせなければならない、昼夜逆転だ。しかもそこに５０００Km以上の飛行機移動時間がある。たまたま僕はシンガポールから成田までバトン、ハミルトン、ベッテル、Ｋ・ライコネン（フェラーリ）らと一緒のＪＡＬ便になった。月曜夜の夜行フライトで出発は１０時４０分、成田到着は火曜朝６時３５分で正味６時間５５分だ。僕は機内食も酒類もノーサンクスで寝ることにした。でも、昨日までこの夜中時間帯にサーキットで真昼のごとく仕事をしていたわけだから、いざ眠ろうとしても眠れるものではない。うとうとした程度で成田着陸だ。そこから彼らがどうしたかは分からないが、僕はとっとと東京の家に戻って仮眠、でも原稿が気になってなかなか休めない。仕方なく起き上がって原稿に向かい、結局深夜までかかってしまった。

結局、自宅滞在時間は３０時間ほど。翌日、水曜午後には再度荷造りをして、自分の車で鈴鹿に向け出発。ところがこういうときに限って東名の厚木で事故が発生し渋滞に。ウェットコンディションの中、ノーストップで鈴鹿に着いたのは夜１０時、すぐになじみの店に電話をしたら「もう閉店しました」と言われてがっくり。仕方ないのでホテルの自動販売機のビールでも飲んで寝ようと決める。この夜“爆睡”しておかないとゆっくり寝る時間はもうないと思い、ベッドに転がりこんだ鈴鹿ファーストナイト。３年ぶりに泊まるホテルの寝心地は、以前と何も変わりはなかった。

＜続く＞

      
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   <title>特別寄稿　ルノーの2年間猶予付き資格停止処分について</title>
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   <published>2009-09-30T03:08:54Z</published>
   <updated>2009-09-30T03:10:51Z</updated>
   
   <summary>大いに意義ありの幕引きだった。 史上初の夜間開催となった昨年のシンガポールＧＰ決...</summary>
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      <name>今宮純</name>
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      大いに意義ありの幕引きだった。
史上初の夜間開催となった昨年のシンガポールＧＰ決勝、ルノー・チームのＮ・ピケJr.がレース中に起したクラッシュについて、８月にチームを解雇されたピケがＦＩＡ（国際自動車連盟）に事故は故意だったと告白。同僚のＦ・アロンソが絶好のタイミングでセーフティーカーが入ったことで優勝したことから、チームの意図的な不正行為が疑われた問題について、９月21日に開かれた世界モータースポーツ評議会は、わずか９０分足らずの“審議”でルノー・チームには執行猶予付の「２年間出場停止処分」、前マネージングディレクターのＦ・ブリアト―レ氏にはＦＩＡが関与する競技からの「無期限追放」、不正行為を指示したと言われる前エクゼクティブディレクター・オブ・エンジニアリングのＰ・シモンズ氏には「５年間追放」の処分を発表した。０８年マレーシアＧＰでドライバーとして最終的に自分からクラッシュ行為を実行したＮ・ピケには訴追免除措置がとられ、事実上「無罪」とされ、結論としてブリアトーレ“被告”がすべての責任を取らされるかっこうになった。

この結果、ブリアトーレ氏を“マフィア”呼ばわりするメディアまで出てきて、一方の当事者、内部告発に踏み切ったピケは親分の命令に従ったいたいけで“忠実な部下”に仕立てられ、クラッシュ行為を指示したシモンズ氏は“陰謀指揮者”とされている。善玉と悪玉が見事に強調され、ルノー・チームは（Ｆ・アロンソまで含めて）とんでもないダーティーな組織集団になってしまったのである。

話を正確に期するために、時間を１年前に戻そう。
アロンソが１１位からピットインしたのは１２周目だ。軽い燃料で予選１５位からアグレッシブな戦略を選んだのはそれまでにもあったこと。一方１６位にいたピケが問題のスピンをしたのはその２周後の１４周目、ここでセーフティーカーが導入された。やがて１７周目にピットレーン・オープン、焦ったフェラーリ・チームはマッサの給油がまだ終わっていないのに発進させるミスを犯し、ホースを引きずったまま出口で立ち往生。このアクシデントによって優勝のチャンスを逸した。つまり、フェラーリのＶ逸は今回の問題とは関係ない、彼らのまったく失態によるものに他ならない。

１９周目にセーフティーカーが去ってレース再開。このとき、アロンソはまだ５位にいた。ポジションを上げられたのは確かでも、勝てる状況にはなかった。しかしその後のレース展開において彼のルノーは最速ラップ３位相当で追い込み、再度セーフティーカーが導入された結果、優勝を成し遂げることができたのである。つまり、ピケの“故意クラッシュ”が即アロンソ優勝に結びついたとは言えないということだ。

現象とすれば確かにピケが呼び込んだ最初のセーフティーカーによって彼らはチャンスをつかんだ。それは否定できない。だが繰り返しになるがそれで優勝に直結したという今回の報道、談話、証言は事実とはかなり異なる。

もうひとつ、あのピケのスピン行為だが僕も現場にいて「ちょっと不思議な動きのスピンだな…」と感じたことは事実だ。ただ彼はF1ドライバーとしては珍しい、アクセルオンの初歩的なミス（大変失礼だが）をして、ああいう“巻き込みスピン”をしばしばするタイプで、「ああ、またやったか」というぐらいにしか僕の目には映らなかった。
また、あの１７コーナーにマシン撤去用のクレーンが無かったことについて、リークされたＦＩＡ調書では、事前に下見したシモンズ氏がそれに気付き、陰謀を図ったかのように表現されているが、シモンズ氏でなくても初コースを歩いて下見をした人間なら、あの位置にクレーンがなかったことは誰でも知っていることだ。僕は深夜、彼とエンジニアたちが歩いて下見しているのをたまたま目撃しているが、これはF1チームにとってはごく普通の行為で、わざわざ陰謀を図るためにコースを下見したという見解には無理がある。

一方、ピケのスピンについて、レーシングドライバーならばスピンターンの一つや二つ、ドーナツターンの連続くらいは、一般路上での“縦列駐車”よりも簡単にできることも事実だ。実際、Ｍ・シューマッハがイギリスＧＰ予選で故意にフェラーリをスピンさせてタイムロスを誘発させたこともあった（しかしペナルティー大問題にはならず…）。

そうした中で、言われるようにピケが“任務”を忠実に遂行したとしたら、その理由はなぜなのか。ブリアトーレ氏から“契約”をちらつかされ、レーシングドライバーたるプライドをかなぐり捨て、わざとスピンしたとすれば彼は本当にもう１年、Ｆ１に居られると思ったのだろうか。すでにあの時点で彼はアロンソとの実力差を身にしみるほど深く分かっていたはずだ。故意にスピンした瞬間に自分自身のレース人生がぶち壊しになると悟らなかったのだろうか。また最近の発言では父ネルソン・ピケも、昨年から息子のこの問題にかかわっていたようだが、世界チャンピオンに３回もなったほどの父親が、そこまで追い詰められていた息子になぜ冷静なアドバイスができなかったのか、その点にも疑問が残る。

父ピケさんとはホンダ時代からのなじみがある。今年、なぜか彼はルノーのモーターホームには寄りつかずＢＳのところでよく出会った。が、ピケさんはいつも考え込んでばかりいて、挨拶のハローもない。暗いネルソンを見るにつけいったいどうしたのかとずっと気になっていた。今にして思えば、昨年から息子のこの問題にかかわっていた彼は、何かをずっと考え思い悩み沈んでいたのだろう。
９１年末に引退宣言することもなく、ベネトン・チームにやってきたばかりのブリアトーレ氏によって追われたトリプルチャンピオン。その無念の想いは確かに察して余りあるものなのだが（ピケの後にシューマッハがエースになったのは９２年からのことである）。

ピケ対ブリアトーレ。また、もしブリアトーレ対Ｍ・モズレイの“個人的私憤”がこの大スキャンダルに絡み合っていたとしたならばもっと違うやり方、男らしい殴り合いの決闘こそがふさわしい。２００９年Ｆ１はどこまでこういう語るに落ちるスキャンダルを繰り返すのか、もういい加減にしてほしい。

真相はいずれ明らかにされるだろう。しかしいまは何よりもこの６０周年チャンピオンシップに集中すべきときだ。ゲーム・イズ・オーバー、もうスキャンダルはいらない－－。

      
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   <title>ヨーロッパ大移動２連戦、ベテラン勢の活躍に波乱の終盤を実感</title>
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   <published>2009-09-11T07:46:45Z</published>
   <updated>2009-09-11T07:48:47Z</updated>
   
   <summary>体感温度40℃のスペイン・バレンシアからパリを経由して1,600km離れたベルギ...</summary>
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      体感温度40℃のスペイン・バレンシアからパリを経由して1,600km離れたベルギーのスパ・フランコルシャンへ。第11戦ヨーロッパGPから第12戦ベルギーGPへと続いた2連戦は、今までにない過酷さを体験したヨーロッパ大移動だった。サーキットのあるスパ・フランコルシャン地方は、海沿いからアルデンヌの山の中へと移るので、ある程度予想はしていたものの、まさか摂氏4℃以下（！）の寒さになるとは……。スペインでは冷たい“ガスパチョ”に感激していたのに、ここではレストランで飲む一杯のホットスープにぬくもりを感じたほどだった。

F１スポーツに係るものにとって、事態が瞬時に変化することに驚いていてはいけない。僕はいつもそう思って取材現場に臨んでいる。しかしこの２連戦、ヨーロッパＧＰでは、あのＲ・バリチェロ（ブラウンＧＰ）が“別人”に変身して勝ち、ハンガリーＧＰでは、密かに期待していたＧ・フィジケラ（フォース・インディア）がPP（ポールポジション）を獲得、そしてスタートでの接触事故によるセーフティカー導入がなければ、勝っていたかもしれないレースを目の当たりにして、そんな思いもどこかへ行ってしまったかのように驚いた。

何が二人を変えたのか。
答えは第10戦ハンガリーＧＰの公式予選中の事故で頭部を負傷したフェラーリのフェリペ・マッサ（現在、リハビリ中）の存在抜きには考えられない。
バレンシアでのバリチェロの走りは、初日のフリー走行でコース脇２mまで接近して見ていたが“別人”ではないかと思うほどブレーキングも、ライントレースもスムーズだった。
あとで確認できたことだが、バリチェロはいまだに左足ブレーキングで、いまや常識の右足ブレーキングに変更せず通しているという。そんなバリチェロに昨年バレンシアで完勝したマッサは、その走りでバレンシア攻略のヒントを与え、バリチェロはこの年(F1デビューは1993年)になってようやく一皮むけたとしたら……。あの事故の“加害者”でもあるバリチェロの5年ぶりの優勝にそんな思いが湧き上がってきた。

同世代のフィジケラがバリチェロの優勝を誰よりも刺激的に受け止めていたのは、スパの初日にすれ違ったときに分かった。いつものようにへらへらとした様子がなく、表情が引き締まっていた。案の定、初日フリー走行１では急にスパ・ウェザーになり、スタブロー・コーナー方面から雨がサーっと降ってきたが、フィジケラはいきなりウェットになったにもかかわらずノーセットアップのままで最速タイム2分3秒972を叩き出し、トップに立った。イニシャルセットが抜群で、実際にコース上では完璧なバランスだった。
記録上はドライ状態のときにＪ・トゥルーリ（トヨタ）が記録した１分49秒675がトップタイムとなったが、僕は「フィジケラをマーク」と取材メモに書き込んだ。

結局、ベルギーGPはウイナーは、スタートでフィジケラを交したフェラーリのＫ・ライコネンとなったが、２位表彰台に上がったフィジケラも、フェラーリの真後ろから後方乱気流を浴びながらも追い続け、スピン寸前のドライビングを見せてくれた。50m離れれば楽に着いて行けるのに、彼は“レーサー”としてどこかにチャンスがないかとアタックを続けたのだ。それを跳ね除けたライコネンも、この12戦までのベストレースを見せてくれ、「このレースのウイナーは一人ではない。彼ら二人だ」と思わせてくれた。

それほど強烈な印象を残したフィジケラの激走だったが、レース後９月３日にはフェラーリから、マッサに変わるドライバーとして、第13戦イタリアGPからフィジケラを起用するとの正式発表があった。フォース・インディアから電撃移籍しての大抜擢である。イタリアンドライバーとしては90年代のI・カペリ、80年代の故M・アルボレート以来となる。非常に残念ながら、ジャパニーズドライバーの佐藤琢磨はフィジケラに“敗れた”が、まだまだ鈴鹿・日本GPまで何が起きるか分からない。09年シーズンは＜予測不能＞な事態があまりに多いからだ。チャンピオンシップも予想通り終盤もつれる状況になっている。鈴鹿・日本GPがクライマックスとなる気配は、いよいよ濃厚になってきた。

      
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   <title>満員御礼申し上げます</title>
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   <published>2009-08-06T05:32:50Z</published>
   <updated>2009-08-06T05:36:56Z</updated>
   
   <summary>満員御礼申し上げます。 ８月８日の「第９回クロストークイベント」は、おかげさまで...</summary>
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      満員御礼申し上げます。

８月８日の「第９回クロストークイベント」は、おかげさまで全席ソールドアウトとなりました。スタッフ一同、心より御礼申し上げます。７月１０日にエントリーを受付開始したところ、スタートダッシュすばやく二日間で１００組以上のF1　LOVRRS皆様が申し込まれていままでよりも早くにフルグリッドになりました。今回間に合わなかった方々すいません、次の“第１０回記念イベント”をお待ちください。

開催告知した時点で僕自身にもいくつかニュースが飛び出す予感はあったのですが、状況変動は非常に烈しく、今シーズンはこれから「揺れる２００９年後半戦」に突入です。イベント当日までにまだ最新ビッグニュースがあるかもしれませんので、当日はトーク内容の変更もありえます、ご了承下さい。

レギュラーゲストBS社の浜島氏には、いま世界中が最も気になっている＜シューマッハ復帰＞に関する詳細情報トーク（？）などを語っていただく予定です。実はハンガリーGPで浜島氏と雑談中に、たまたまシューマッハ氏が通りかかったこともあり「ちょっと太ったね、ミハエルも」と彼のことを語り合ったばかりだったのですが、その時点ではまさかこんな事態になろうとは、ふたりとも想像すらしていませんでした。そういう意味では、まさにジャストタイミングの浜島情報となるでしょう。

なおイベント当日はいつものように軽食と飲み物の用意もありますが、元気の出る“おみやげドリク”が、参加者全員にもれなく用意されるようです。こちらもお楽しみに。
それでは盛夏の日、ホテル・フロラシオン青山でお会いしましょう。
	
今宮　純

      
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   <title>ハンガリーＧＰ“マッサ重傷事故”を検証しておこう</title>
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   <published>2009-08-01T07:12:43Z</published>
   <updated>2009-08-01T07:14:18Z</updated>
   
   <summary>激動の夏７月だった。刻一刻と急転するさまざまな政治的な動き、M・モズレイFIA会...</summary>
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      激動の夏７月だった。刻一刻と急転するさまざまな政治的な動き、M・モズレイFIA会長の不出馬宣言、後任にフェラーリの元チーム代表J・トッド氏を推薦、そして彼の“出馬決意”。さらに新コンコルド協定最終検討などが相次ぐ中、＜予測不能＞な事態が起こった。ハンガリーGPで起こったフェラーリのＦ・マッサ重傷事故によって、何と引退した元王者のミハエル・シューマッハの復帰が現実のものなったのだ。こうした一連の動きは、何が起きても不思議ではないＦ１というスポーツのバイブレーションそのものと言える。

まずは、ハンガリーＧＰで起こったマッサ重大事故から多角的に検証してみよう。話はさかのぼる。７月１９日、ヘンリー・サーティース選手（元Ｆ１世界王者ジョン・サーティース氏の息子）の死亡事故が起きた。イギリスのブランズハッチで行われたFIA・F２選手権第２レース、僕はヨーロッパにいてユーロスポーツTV中継で目撃した。前のマシンがクラッシュし、タイヤが外れ飛ぶシーンまではあえて言うが“よくありえること”だった。が、一部サスペンション部品がついたままその“物体”が恐怖のタイミングで後続走行中の彼のヘルメットを斜め上方向から直撃した。詳細は省くが彼は絶命したままでウイリアムズ製のF２マシンはコース上を滑走していき、タイヤバリヤーに激突、悲惨極まりない事故であった。

このF2はM・モズレイ会長が昨年提言した安価なニューフォーミュラレースで、関係者からは「そんな値段で出来るのか？」と言われたもので、ウイリアムズが一手にシャシー製作を請け負って今年スタートしたばかりだった。しかしあまりにも簡単にタイヤが外れるのがTV画面に映った瞬間、僕は“タイヤ脱落防止対策”がコストダウンのために装備されていないのではと感じた（後に関係者は否定）。F1もF2、GP2もドライバーは頭部むき出しのオープンコクピットにおさまり、競技用基準を満たしたヘルメットでガードされている（レーシングカートも同じだ）。９４年に元世界王者のＡ・セナが事故死して後、コクピット周りのネックガードや頭部固定“HANS”装置などによって横方向、および前後方向からの衝撃に対して確かに安全性は向上した。しかし、サーティース選手の場合は斜め上方向から飛んでくる物体の大きな衝撃にはとても耐えられなかった。

ハンガリーGP土曜日予選Q2セッション、午後２時４２分、マッサの事故は起きた。その瞬間、僕の脳裏に先週見たサーティース選手の恐怖シーンが蘇った。２回目の映像で何か２０センチくらいの黒い“物体”が彼のマシン前方にチラッと映った。しかし超スロー映像ではない画面ではそれが何かまで特定することはできなかった。推測でいい加減なことをしゃべるべきではない重大な事態だと判断した僕は、情報を待った。が、国際画面は他の映像に切り替わってしまい、僕らは別のマッサ・オンボード画面に注目しようとしたがこれもフリーズし、すぐに切れた。そこで放送席からは遠い現場の４コーナーを目視しながら、立ち上がってピットや医務室や緊急ヘリの動きを確認し続けた。

事態は最悪に近い。だが人間マッサの尊厳にもかかわる状況にことさらあおるようなコメントは慎むべきだし、それでも生中継での「描写説明」はしなければいけなかった。その後、情報が入ってきてＲ・バリチェロのマシンから脱落したサスペンションパーツのスプリングを、マッサのマシンがすくい上げるかたちになって彼の左顔面を直撃したものだと判明した（頭蓋骨骨折などの重傷）。これはサーティース選手の事故も当てはまるが、あと数センチ上か横にずれていたら、その物体は車体をかすめただけで済んだと思われるだけに、何とも残念な思いの残る事故だった。

それにしても、こんな重要パーツが脱落したことをブラウン・チームとベテランのバリチェロは気付いていなかったのだろうか。普通、走行中のマシン状態は常にテレメトリーシステムによってピットで“監視”されているし、ドライバーもサスペンションに異常が発生し急に車高が落ちるなどすれば、すぐに察知できるはずだ（彼ほどのベテランならば）。だから、どこで、何が、どう壊れ、外れたのか、即刻、競技運営者やコースディレクターに伝えることは不可能ではなかったはずなのだ（いまはチーム側と彼らの間にメール通信回線もあるのだから）。そしてFIAも、重大事故発生に至った前後関係をすぐに調べると同時に、もう１台の同型マシンを管理下に置き、厳重に車体検査する必要があった。

もう一点、路上に異物が落下しているのをコースサイドにいたマーシャルは気付かなかったのだろうかという疑問も残る。僕は木曜日にコースに入ると、まずコースの下見から始めるのだが、現場地点は３コーナーから短い直線になっていてマーシャルポスト位置の間隔がかなり空いていたことを確認している。このコース脇での取材では、僕自身もたまに落下物に遭遇することもあるが、すぐにコースマーシャルが気付いて排除したり、イエローフラッグによって異物の存在を示すなどするので、大きな事故に発展した経験はない。それほどボランティアの彼らはよく働いてくれている。それを考えると今度の場合は、たまたまマーシャルポストの位置間隔が空いていたことが災いしたとも言えるのではないだろうか。

結論として、FIAはこの重大事故２件に対し、早急に事故調査委員会を設けるべきだと思う。そして速やかに調査結果を公表し、今後のために対策を検討するべきだ。このスポーツを管轄するFIAには競技中に死傷事故が起きた事実を深刻に受け止め、詳らかにする責任がある。
そう、FIA会長の椅子を巡って政争に明け暮れている場合ではない――。

さて、日曜日の決勝レースではルノーのＦ・アロンソのタイヤが外れる“インシシデント”があった。確かにあれはピットのタイヤ装着ミスで、これまでにも何度もあったことだ。アロンソは１コーナーですぐ異変を察知しスローダウン、自分のレースを全うするために自分の目で右前輪タイヤの状態を見ながら、可能な限りの徐行運転を続けた。しかしピットにたどり着く前にタイヤは“脱落”、一見するとサーティース事故に似ているようにも見えるが、本質はかなり違う。ところがレース後の審査委員会ではあれこれと理由を挙げ、既にリタイアしていたアロンソ・ルノーにきわめて重罪な「１戦出場停止処分」を下した。これは、いまだかつて聞いたことの無い類のペナルティーである。もしこの処分を受け入れると、接触などでウイングやタイヤを破損したマシンが停止せずに競技を続けようとしたら、“危険な走行続行”を理由に罰せられることになるからだ。

他にもいろいろ指摘したいことが多いハンガリーGPは、KERS勢のマクラーレン・メルセデスとフェラーリによる初めての旧２強チームの１－２ゴールで終わった。新２強のブラウンGPとレッドブルは、ブラウンＧＰのＪ・バトンがやっと７位で、３位に入ったレッドブルのＭ・ウェバーに18,5ポイント差とまたまた縮められ、ポイント3位のレッドブル、Ｓ・ベッテルはリタイアしたものの23ポイント差でポイントトップのバトンを追う緊迫した展開となった。

それにしてもKERS勢のダッシュは昔のターボ時代を髣髴させる。加速力が大きく異なる集団が１コーナーに突進するから接触リスクは昨年などよりもきわめて高まり、現にニュルブルやこのハンガロリンクでもスタートで順位を落とした今回のベッテルのようなケースが見られた。
後半戦、ますます１コーナーまでの“チキンレース”が多発しそうだ。２年半ぶりに実戦に戻ってくる元世界王者のシューマッハも十分それには気付いていると思うのだが――。
　

      
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   <title>久しぶりにパリから５３０Km走っていきました</title>
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   <published>2009-07-24T01:37:48Z</published>
   <updated>2009-07-24T01:39:21Z</updated>
   
   <summary>今年のドイツGPは、２年ぶりのニュルブルクリンク・サーキット（ベルギーに近いアイ...</summary>
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      今年のドイツGPは、２年ぶりのニュルブルクリンク・サーキット（ベルギーに近いアイフェル山中にあります）。この国では昨年からホッケンハイムと交代に開催することになって、久しぶりにパリから５３０Km走っていきました。

途中ルクセンブルグを通過、この国はガソリンがヨーロッパでもっとも安いのでスタンドは長い行列。僕もピットインして、オペルの小さなディーゼルエンジン仕様のレンタカーを満タンに、１リッター０．８ユーロ以下でフランス国内よりも３割安（！）。日本ではディーゼルに“偏見”があるようですが、エンジン音は静かだし、燃費もリッター１８Kmはいくし、いつもハーツにリクエストしていますが引っ張りだこでなかなか“在庫車”がないほど。7月に入ってバカンス・シーズンなので特にそうです。

「またやってるな」――。
フランス国内では高速道路でスピード違反取締りを頻繁にやっています。有料区間の料金所手前は要注意。ポリスは脇の横道、あるいは高速道路の外側の畑などにいて、スピードガンのようなモノで狙っているのです。無線で先の料金所にいる別のポリスにナンバーを連絡、料金を払ったところで「こちらにいらっしゃい」となるわけ。

罰金は現金払い、クレジットカードは不可です。抗議しても一切受け付けてはくれない。事務的な対応に従えば手間は掛からず、彼らも丁寧な態度で「メルシ・ボク」で放免になるとのこと。これはあるF１ドライバーの経験談です。
日本の昔の“ネズミ捕り”とは違いますが、巧妙に隠れているので、検挙率は高いらしい。パリを出たこの日もやっていて、僕はオペルのクルーズコントロールを法定速度１３０Km（雨の日は１１０Km）の１０Km増しにセット、１４０Kmで走っていてキャッチされずに済みましたが……。

ルクセンブルグ、ドイツではこれはやっていません（知る限りにおいて）。でも流れは速く、１５０Km以上でなかには２００Km／hオーバーの飛ばし屋もいて、フランスから来るとバンバン抜かれます。ドイツでもアウトバーンの速度制限無し区間は少なくなっていて、ニュルブル周辺はフランスと同じ１３０Km。それでも実際はプラス２０Kmのハイペースが日常の流れです。日本とは大違い、５３０Kmをほぼ５時間半、途中ワンストップしてもアベレージ１００Kmでいけるので、飛行機を乗り継ぐ待ち時間を含めると車移動のほうが安くて便利。空港内でのセキュリティーチェックもわずらわしいし、僕はベルギーGPのスパ・フランコルシャン・サーキットも車移動にしています。スピード・チェックには十分気をつけながら。　

      
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   <title>第９戦ドイツＧＰはレッドブル・ウェバーが悲願の初優勝！</title>
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   <published>2009-07-24T01:07:51Z</published>
   <updated>2009-07-24T01:11:41Z</updated>
   
   <summary>ブルブル震えるほど寒く冷たいニュルブルクリンクで、レッドブルがイギリスＧＰに続い...</summary>
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      ブルブル震えるほど寒く冷たいニュルブルクリンクで、レッドブルがイギリスＧＰに続いて２戦連続で１－２フィニッシュ。シルバーストーンのＳ・ベッテルに続き、８年目のＭ・ウェバーがようやく初勝利を手にすることができた。獲れそうで獲れなかったPPを決め、独走ですんなり悲願達成かと、スタート前はイメージしていたのだが。
簡単にはグランプリウイナーにはなれない――。改めてそう感じたレースを分析しよう。

お気づきの方もいただろうがレッドブル・ルノーはスタートダッシュがよくない。いまこのマシンが抱える唯一のウイークポイントがそれだ（ルノーも同様で、ともにエンジンを含めシステムに改善の余地がある）。僕はスタートラインの真ん前、新設された６番コメンタリーブースでTV画面ではなく、目視でスタートの一瞬に注目、集中した。その目の前でまるでロケット発射のような勢いで発進したのは３列目６位にいたマクラーレンのＬ・ハミルトンだった。KERS付きのマシンだから云々という以前に彼の蹴り出しはぴったりで、機械というより人間の能力で決めたロケットスタートだった（この最初の“キック”がよかったから、さらにKERSパワーが威力を発揮できたのだ）。

ＰＰスタートのウェバーは、まさか６位のハミルトンがぐんぐん左から迫って来るとは思っていなかったのだろう。ミラーでそれを確認した彼は、「まずい！」とばかりに、１コーナーに対してイン側をキープしようと右に動いた。この判断そのものは悪くはなかった。だがすぐ右にはＲ・バリチェロがいた。ブラウンGPのマシンにはKERSはないが、グリップの劣る２位グリッドからでも、マクラーレンとまったく同等のパワーを発揮するメルセデス・エンジンによって彼は一気に伸びてきていたのだ。

客観的に見てデビューした頃からウェバーは“接触”が多いドライバーの一人だ。僕が取材した何人かのドライバーが「彼は予想がつかないとっさの動きをすることがある」と証言している。あえて言わせてもらうと、ウェバーは接近戦でひとつの動きに過敏に反応するあまり、他の動きに対するリアクションが遅れる傾向があるのではないか。
「スタート時に重要なのはワイドな視野があるかないかだ」――。
これは、１０００馬力ターボ時代にA・セナが僕に教えてくれた言葉だ。当時のF1ではスタートで事故が多発していた。ターボパワーがドカーンと爆発する瞬間、「周りがよく見えなくなる者がいる」と彼は言いたかったようだ。

話を戻そう。ウェバーは決して故意ではなく右にいたバリチェロのマシンに当たってしまった。その衝撃で2人がアクセルを緩めた瞬間、ハミルトンがものの見事に２人をかわして先頭に躍り出たのである。しかし望外と言っていいスタートダッシュに有頂天になったのか、次の1コーナーに飛び込むためのブレーキングポイントが遅れた。
「あの速度では１コーナーを回れない」――。
そう僕が予感したとおり、彼のマシンはオーバーランを余儀なくされ、さらにウェバーの左フロントウイング先端に自分の右リアタイヤをわずかに接触、鋭いナイフで切り裂かれるごとくサイドがカットされ、エアが噴出して瞬間的にパンクを起し、万事休すとなってしまった。

もし超スローVＴRリプレイ画面がきていたら、中継でもここに書いたような「勝負の一瞬」を克明に追って解説することが出来たかもしれない。ともあれ、ウェバーはスタートで出遅れ、バリチェロに当たり、ハミルトンと接触するという「三つのピンチ」に晒された。だがここから彼は立ち上がり、14周目にペナルティーのピット・ドライブスルーを科せられたものの、それさえも克服、ひたすら挽回に集中して60周目にチェッカーフラッグを受けたのである。

「初勝利のレースはそれまでのどのレースよりも長い」――。
過去の優勝経験者の誰もが言う言葉を、ウェバーも噛み締めたことだろう。
パドックではチーム全員が揃って待ち構え、２位に終わったベッテルも先輩を祝福するためにスタンバイしていた。１時間経ってやっとインタビューから開放されたウェバーが走ってくると、シルバーストーンに続いてシャンパンが一斉に抜かれ、パドックに勝どきの声が上がった。

一方この頃、レッドブルから５０メートルも離れていないブラウンGPのモーターホーム内では“大ベテラン”がチーム批判を繰り返していた。メカニックたちが黙々と撤収作業をしている最中にである。自己ベストラップが１１位でBMW勢よりも遅かったことはタナに上げ、マシンやスタッフを責める態度はいかがなものか。こういう発言はチームのモラルを下げるだけだ。最近“大ベテラン”は人が変わったようで、９３年のデビューから彼を見ている自分はとても残念でならない…。
　
残りは８レース。ポイントではブラウンGPがトップにいるが、レッドブル・チームは“結束力”で完全にブラウンGPを抜き去った。きれいな夕焼けを見ながら僕はそう確信した。　

      
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   <title>第９回クロストークイベント開催のお知らせ</title>
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   <published>2009-07-03T02:11:43Z</published>
   <updated>2009-07-03T02:20:54Z</updated>
   
   <summary>僕が毎年2回、F1ファンとの交流の場として開催しているトークイベント『第９回今宮...</summary>
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      僕が毎年2回、F1ファンとの交流の場として開催しているトークイベント『第９回今宮純クロストーク・ミーティング』を来る８月８日に開催します。

激動の０９年Ｆ１です。６０年を迎えた世界選手権は今シーズン、ブラウンの独走に始まり、ＦＩＡとＦＯＴＡの“対立”抗争勃発によって迷走が続いています。ファンの存在を無視したこの権力闘争に対し、僕は内心怒りを感じながら現場取材を続けています。

新２強がのし上がり、旧２強時代が完全崩壊していくコース上のバトルに集中すべき展開となっているだけに、それをスポイルする抗争にはNO！というべきです。イギリスＧＰには３１万人がシルバーストーンに集結しました。中にははっきりと混乱した現状を否定するメッセージを掲げるファンもいましたが、Ｓ・ベッテルのゴールインには大歓声で迎えるシーンが見られました。英国人にとって期待したＪ・バトンが今年も苦戦し苦々しい思いのはずなのに、それでも見応えあるレースにはスタンディング・オベーションで応えた彼らはさすがです。

７月で１０戦を終え、チャンピオンシップは終盤に突入して行きます。バトン対ベッテル、ブラウン対レッドブルの真夏の攻防にあらためて注目してみましょう。政争問題について皆さんのご意見を直接伺うとともに、２００９年後半戦シリーズや３年ぶり開催鈴鹿・日本ＧＰの見るべきポイント、さらには２０１０年への展望なども含めて大いに語り合いましょう。
末広がりの８月８日、ポジティブな「Ｆ１　ＬＯＶＥＲＳ　ＤＡＹ」にしようと、事務局メンバーともども企画内容を練っていきます。ご期待下さい。　

 今宮　純



◆今宮純トークイベント運営事務局より◆
第９回今宮純クロストークミーティングの概要は以下のとおりです。
参加者募集は７月１０日（金曜日）より下記の公式サイトで開始いたします。
お待ち下さい！
　　　　　　　　　　
　　　　　　　　　記

日　時：２００９年８月８日　14:00～16:30
会  場：東京青山「ホテルフロラシオン青山」
ゲスト：浜島裕英ブリヂストン MS・MCタイヤ開発本部長
募集人数：150名　
応募先：今宮純公式Webサイト：http://www.f1world.jp/

以上


      
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   <title>20年以上通っていても、やっぱりイギリスは美味しくない!?</title>
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   <published>2009-07-03T02:04:49Z</published>
   <updated>2009-07-03T02:07:17Z</updated>
   
   <summary>いまやＦ１最北端ＧＰレース開催地となったシルバーストーン。ロンドンから北へＭ４０...</summary>
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      いまやＦ１最北端ＧＰレース開催地となったシルバーストーン。ロンドンから北へＭ４０高速で１時間半、田園地帯にある。今年は開催６０周年でもあり、来年はドニントンへ移る予定なので金曜から８万５０００人、土曜１０万５０００人、日曜１２万人、合計３１万人が詰め掛けた。モータースポーツのウインブドンと思ってください。最近１５年では最高の入りで、９０年代に地元ナイジェル・マンセルがセナやプロストと争った時代にはもっと入ったが久々の満員にびっくり。僕は“目安”としてトイレの行列の長さで観客数を読む。日曜は男子トイレですら１００mの長さ（！）、女子はその何倍も渦を巻いて繋がって心配になったくらい。当然、オバサマＦ１ファンも多く、Ｊ・バトンが日本系のガールフレンドと付き合っていることは皆さんよくご存知、ゴシップやスキャンダルに敏感なのがこの国の紳士、淑女たちなのだ。

シルバーストーンへは、もう２０年以上通っているがメシはまったく“進化”がない。ホットドッグや、ハンバーガーにしても素材の味がまったくしない。塩味のまるでないソーセージなんて考えられますか？（どうやって保存するの・・）。最近「イギリスは美味い！」みたいな本が出回っているが僕は全否定する。そりゃあロンドンとかごくごく一部の店にグルメジャーナリストとしての発見はあるかもしれないが、もっと正直に失敗談を書かねばジャーナリストではない。

食に期待してはいけないこの国で、信じていいのは中国人がまじめにやっている中華料理屋くらいだろう（インド・レストランも裏切られることが多いので要注意）。
シルバーストーン近くのなじみの中華屋のマダムが言っていた。「私たちも北京から来て苦労しました。味をどんどん薄く、盛り付けを華やかにすればするほど、お客さんが来るようになりましたよ」と。日頃の鬱憤がたまっていたのかオーダーした料理はどれも本格こってり味で、カレーライスをまったく日本風にして出してくれたのには驚いた。

地元スーパーに買出しに行った。ホテルではなくアパートに泊まっていたので自炊ができる。惣菜の味付けを適当にやり直して食事をしながらゴールデンタイムにやっているＴＶ料理番組を見て驚いた。昔の「料理の鉄人」どころか、「ＳＭＡＰ☓ＳＭＡＰスマ・スマ」の足元にも到底およばない陳腐なものばかり。値段だけ高いモノを何十年も食べているから、いまのＦＩＡ会長さんみたいな突飛な人物も出来上がるのだろうか。テレビを見ながらそんな気持ちになった。

人間は味覚によって育ち、酸いも甘いも知って、人格が形成されていく。いまこそイギリスはもっともっと美味くならないと、大英帝国の遺産を食い潰しかねないことになる（それにしてもここ２，３年でＵＳＡ並みに肥満人が猛烈に増加しているのには驚くばかりだ）。

もはやこの国には古きよき生粋の英国車ブランドも走っていない。今回借りたレンタカーはＫＩＡのソウルという全く未知の韓国車種だった。いまも１９６７年型モーリス・ミニ・クーパーＳ（ＭＫ１）を大切に保存している僕としては、毎年イギリスＧＰに行くたびに暗澹たる思いになるのがとてもつらい。




      
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